月の満ち欠けのように
眠れない。自室のベッドでゴロリと寝返りを打ったシンクレアはパチリと双眸を開けると上体を起こした。
眠れない理由は分かっている。色々と考えすぎてしまって頭がごちゃごちゃして、気分が落ち着かずに眠気が一向にやって来ないのだ。
因縁の相手・クローマーと決着を付けてからそれなりの日が経過した。己の罪を思い出し、振り返り、対面した。そうして全てが終わっても尚、考えてしまうのだ――過去の自分があんな選択を取らなかったら今頃家族も村も、何もかもは無事だったのだろうかと。
そう、些細なキッカケだった。家族の自慢話をするクラスメイトが羨ましくて、少しだけ見栄を張った。クローマーに地下の鍵を渡してしまった。たったそれだけの事で義体と化した大事な家族と村人達は、クリスマスの夜にやって来たクローマー率いるN社の面々に壊されて、村を焼かれてしまった。
ダンテには「背負い込み過ぎるな」「誰でも犯しうる些細な間違いだったのだから、あまり自分を縛り付けるな」と言われた。……慰めてくれたのだろう。彼の言い分も分かる。過去は変えられないし、ダンテの能力を除けば基本的に死者は蘇らないのが都市の摂理で。
だからこれは後悔なのだ。シンクレアが抱えて行かなければならない傷。その傷が癒えて瘡蓋になる日はきっと来るだろうが、決して痕が消えたりはしない。
「……少し、外の空気を吸おうかな」
ベッドから抜け出して革靴を履き、自室を出る。赤い絨毯の敷かれた廊下に出、シンクレアは片方の道へと目を向けた。その先は延々と通路が広がっており、シンクレアの数メートル先に『侵入禁止』とポールが置かれている。
この通路の先がどうなっているのかシンクレアは知らない。ヴェルギリウスやファウストは知っているみたいだがヴェルギリウスに聞けるワケが無いし、ファウストは必要だと判断した事以外は説明しない気質だ。だから先日、痺れを切らしたヒースクリフが強引にポールの向こうへと行ったらしいが……どうにも大変な目に遭ったらしいとは聞く。
何があるんだろう。気になりはするが、恐ろしくて試す気にはなれない。廊下の奥から視線を外したシンクレアは反対側へ目を向ける。立ち塞がる重厚そうな扉の向こうはバスの内部だ。
扉を開け、薄暗いバス内部へと足を踏み出す。もう深夜を回って二時を過ぎる頃だから、バスの外には行けない。治安の悪い裏路地に無装備で出る勇気はないし、そもそも午前三時十三分になれば――『掃除屋』達が一斉に裏路地の『掃除』を始める時間だ。この時間に外に出るのは余程の自殺志願者じゃなければ居ない。
だからあくまでバス内部で。少し窓を開けて空気を吸おうと出てきたのだが、どうやら先客が居たらしい。普段イサン、ドンキホーテ、シンクレアの三人が使っている長椅子に腰掛け、ぼうっと窓の外を見ているらしい姿があった。
扉が開く音で気付いたのだろう。その人は窓の外から視線を外し、シンクレアへと向けるとニコリと朗らかに笑い掛けて来る。
「あ、シンクレアだ。寝れないの?」
「ラウィニアさん……?」
「ほら、隣おいでよ!」
ラウィニアがポンポンと隣の席を叩く。そう年の変わらない異性と隣同士で座るのは緊張するが、此処で断るのも気が引ける。それじゃあ……と僅かに距離を開けて隣に座ればクスクスとした小さい笑い声が聞こえてきた。
どちらとも会話は無く、無言のまま窓の外を見上げていた。今日は天気に恵まれていたからか雲は一つも掛かっておらず、星々が瞬いては月が悠然と浮かんでいる。
チラリとシンクレアはラウィニアの横顔を盗み見る。普段から快活でニコニコと笑顔を絶やさないラウィニアの打って変わって静かな様子に、シンクレアは妙な居心地の悪さを感じてしまう。
普段の明るさが鳴りを潜めたラウィニアはまるでシンクレアが知っているラウィニアではないように思えた。同級生のような気安さと明るさが消え、年相応の――少し年上の女性という顔を覗かせていて。
まるで月の満ち欠けみたいだ、とシンクレアは思う。姿かたちは変わらないのに、見ようによって色んな表情を見せてくれる辺りが。
「……あの、ラウィニアさん」
今なら話せるかも、と何となく思った。
おずおずと控えめにシンクレアが口を開けば、此方へと視線を向けたラウィニアが「なぁに?」と穏やかな声音で問うてくる。
「ラウィニアさんは……自分の選択を間違えたって思う時はありますか?」
不安だった。間違いを犯して生きているのは自分だけなのかと錯覚してしまいそうになる程に。人間なのだから大なり小なり、誰もが間違った選択をして生きていると言うのにだ。
「そうだなあ」と言いながらラウィニアは暫し考え込む素振りを見せると、パッとおどけるように両手を開いて笑う。
「も~私なんて間違いばっかだよ! 昨日のお昼ご飯だって麺を頼んだけどご飯にしとけば良かったな~って後から思ったし、そうでなくても人生なんて間違いの連続だよ。あの時ああしてたらもう少し良かったんじゃないかなとか、その時はこれ以外有り得ない! って思った事も、後から思ったら誤った選択だったのかもって思うし」
だから、とラウィニアは柔和な笑みを浮かべる。シンクレアを安心させるように。
「シンクレアの選択は、もしかしたら間違いだったのかも知れない。けど、この都市で生きてる人で一回も間違いを犯した事のない人なんて居ないんだよ。みんなが何かしら間違いを犯しながら、それでも毎日生きてる。大事なのは向き合う事とか、犯した罪を抱えながら前を向いて生きてく事なんじゃないかな」
「前を向いて、生きていく事……」
シンクレアは静かに言葉を復唱する。
きっと彼女は見抜いている。シンクレアが眠れない理由も、こんな話を切り出した理由も。
「クローマーに立ち向かってったシンクレア、格好良かったよ」
罪を犯したのだから幸せになってはいけないのではと己を戒めていたシンクレアに、手を差し伸べるような気軽さでラウィニアは笑いかける。
シンクレアの選択を肯定するように。全てを許すように。そんなラウィニアの様子に己の心に纏わり付き、縛り込んでいた鎖が一本ずつ音を立てて落ちていくような感覚を覚えた。
シンクレアが微かに笑う。取り繕うような笑顔ではなく、心からの笑顔を。
「……有難う御座います、ラウィニアさん」
心の中の澱を月の柔らかな光が溶かしていく。
今日は、よく眠れそうな気がした。