鏡ダンジョン
《皆、お疲れ様》
薄暗く、霧のようなモヤが広がる空間にカチコチと時計の音が響き渡る。その音を皮切りに次々に囚人達は疲れたような声を上げたり体を伸ばしたり、あるいは武器の調整を始めたりと思い思いの事をし始めた。
鏡ダンジョン。メフィストフェレスの《裏口》に繋がる《廊下》の、重厚そうな金属の扉を抜けた先にある奇妙な空間。そこは囚人達の修練場だと言うように過去戦った敵や幻想体が現れては立ち塞がって来る。最終層の第五階層まで潜ればそれだけ囚人達の戦闘経験値が積めるし、得られる資源で囚人達の強化も出来る。ファウストも「時間があればなるべく潜った方が良い」と進言して来たので、今日もこうしてダンテは彼らを引き連れて鏡ダンジョンを訪れていた。
「ダンテ~お疲れ様~」
《お疲れ様、ラウィニア……って》
笑顔で前線から下がってきたラウィニアを視認した瞬間。ダンテの時計の針はグルグルと早く回り始め、ボーンボーンとけたたましい音を響かせた。それはダンテに普通の顔があり目鼻が付いていれば、目が飛び出る程驚愕していただろうと窺える彼なりの表現だ。
ラウィニアが全身血塗れなのは分かる。今しがたまで戦っていたのだから。けれどブンブンと振る右手の先には武器ではなく、彼女の千切れた左腕が握られているのだから驚くなという方が難しいだろう。
《だ……大丈夫なの?》
「え~? 痛いよ?」
《怪我の様子と元気さが噛み合ってないんだよなぁ……》
ダンテは呆れた様子を見せながらも、カラカラと笑いながら戻ってきたラウィニアの左腕をよく見る。まだ止血すらしていないのか、断面からはボタボタと鮮血が止め処なく溢れ出てきている。早々に手当てなり時計を戻すなりしなければ失血死する可能性があった。
ダンテが己の時計頭に手を添える。
《戻そうか?》
「え、良いよ。まだ落ち着けるような空間に着いてないでしょ? それに怪我してるのも私だけだし……」
ラウィニアは首を横に振り、「ダンテが良いなら良いけど」と付け足す。それはダンテが時計の針を回して囚人達を生き返らせる度、囚人達が負った苦痛をダンテ自身も受ける事を知っているからだろう。
こんな些細な怪我でそんな大掛かりな事をしなくても良いというラウィニアなりの配慮のようにも聞こえるが、要するに「時計を回すならもっと死人が出た時にしろ」という事だ。あまり血と涙は無い。
それにしても、だ。下がるにしても自販機のある休憩エリアに行くにしてもラウィニアの手当てをしなければならない。ファウストなら止血帯なり包帯なりを持っているかも知れないと彼女の姿を探した時、離れた所から駆けてくる足音があった。
「ラウィニアさん!」
「あ、シンクレア!」
声に反応して振り向いたラウィニアの笑顔が一際輝く。その様子だけで如何にラウィニアがシンクレアの事を好いているかと言うのが手に取るように分かるが、対するシンクレアは何処か怒ったように眉を釣り上げていた。
ラウィニアの所まで来たシンクレアが彼女の左腕を取る。
「こんな怪我して、治療もしないでいるなんて……何考えてるんですか!」
「いや、まあ、次の休憩エリア位まではイケるかな~って……」
「イケるわけないじゃないですか! その前にラウィニアさんが死んじゃいますよ!」
「あはは」
普段は温厚なシンクレアが怒っている。それだけでダンテの背筋に冷や汗が伝うレベルなのだが、それを受けても尚ラウィニアは普段通りに笑みを浮かべていて。
――あまりの異質感にダンテは寒気を覚えたように片腕を擦る。まるで、自分が死ぬ事に何の抵抗も躊躇も抱いていない様子だ。
確かにダンテが居れば大抵の死の状況は無かった事になる。けれどそれがラウィニアの寿命が尽きるその日まで通用するのかと聞かれれば分からないし、時計を回したって救えない状況がこの先出てくるかも知れないのだ。だから「ダンテが居れば死んでも何とかなる」という過信を、あまりダンテはして欲しくないと思っていた。そもそも、生き返ると言っても死ぬような苦痛を受ける事には変わらないし、それをダンテが経験する事にも変わりはないのだから。
《だけど……》
二人に聞こえないような小声でダンテは呟く。
ラウィニアの「死の忌避感の無さ」はどうもダンテの能力を過信する心情から来ているような気がしない。もっと別の何か――彼女がリンバスカンパニーに所属するより前から抱いているような……。
「と、兎に角止血しましょう!」
シンクレアの慌てた声でダンテはハッと正気に戻る。見ればシンクレアはネクタイを外してラウィニアの左腕にキツく巻き始めていた。
その様子をジッと眺めていたラウィニアだったが、少ししてふにゃりと嬉しそうに笑みを零す。
「……どうして笑ってるんですか」
一旦手当ての手を止めたシンクレアがラウィニアの顔を見つめる。その顔は不満げに眉根が寄せられており、声にはやや険が含まれている。こんな状況なのに、と言いたいのだろう。
「んー? いやさ、誰かに心配して貰うのって何か良いよねって」
「ラウィニアさん今片手が千切れてるんですよ!?」
「も~シンクレアは心配し過ぎだって!」
空いている右手でラウィニアはシンクレアの頭を撫でる。ふわふわとしたエアリーショートの金髪は触り心地が良く、何時までも撫でたいくらいだ。
対するシンクレアは不服そうな表情をしている。頭を撫でられるなど子供扱いされているみたいだし、幾ら此方が心配したり想いを寄せた所でまるで意識されていないように思えるからだ。
ネクタイを最後に一巻きし、シンクレアは手当てを終える。几帳面な彼らしい丁寧な処置にラウィニアは左腕をあちこちの角度から眺めては感嘆の声を上げる。
「……僕はラウィニアさんにあまり無茶をしないで欲しい、です」
手を降ろしたシンクレアが小さく呟く。ふわふわとした髪が僅かに揺れ、俯いた。
「……分かってるんです。僕達はこれからも何度も死んでは生き返りながらL社の支部へ行き、黄金の枝を集めなくちゃいけないって……。だけどもう少し、ラウィニアさんには体を大事にして欲しいんです」
要であるダンテの護衛や守護が最優先なのは皆の共通事項であり、実際に身を挺して幻想体の攻撃や罠から庇う事はある。しかし――そうした行為に一番抵抗が無いように思えるのがラウィニアなのだ。
確かにシンクレアとラウィニアを比較したら、戦闘経験の豊富さはラウィニアの方に軍配が上がるだろう。リンバスカンパニーに入社する前にどういう場所に所属していたかなどは聞いた事がないが、もしかしたら何処かの事務所でフィクサーとして働いていたのかも知れない。
だけどそういう経緯があったとして、「私の方が戦闘経験があって強いから」「私の方が頑丈だから」という理由を足しても、ラウィニアは無茶をするきらいがある。そうして瀕死の重傷を負っても尚笑っているのだ。それが恐ろしくもあり――どうしようもなく不安になってしまう。いつか何かの間違いで、あっさりと命を手放してしまいそうで。
「うーん、そうだよね……」
シンクレアの頭から手を離し、気不味そうにラウィニアは頬を掻く。
「結構、自分である程度やらなきゃって癖があるんだよねぇ。そうしないと裏路地で一人で生きてなんていけいないし、そうして生きてきたし」
《巣》の恩恵を預かれない、無秩序で無正義の《裏路地》で一人で生きていくというのがどれほど難しいか、それはK社の《巣》で生まれ育ったシンクレアには推し量れるものではないのだろう。
だから自然と「そういうもの」を身に着けてしまったというラウィニアの言い分は理解出来る。だけど――
「……今は、僕が居るんです。僕だけじゃなくてダンテさんだって、他の人達だって居ます。だから……」
「少しは頼って下さい」と続けられたシンクレアの言葉にラウィニアはぱしぱしと目を瞬かせた後、嬉しそうに小さく笑みを零した。
「……そうだね! ほらー、あの……N社の人格のシンクレアとか凄い強くて頼りになるし!」
「あ、あれは……その……」
もごもごと口籠る。
確かにあの人格――『握らんとする者』はシンクレアの秘めている能力を引き出したかのような強大さを持っているが、その人格や『有り得た別の世界』を好んでいるかと聞かれれば……シンクレアは首を横に振るだろう。因縁の会社。因縁の相手。抵抗感があるのは否めない。
「さーて、そろそろ次に行こっか!」
空いた手てシンクレアの腕を取り、颯爽とラウィニアは歩き出す。たたらを踏みながらもシンクレアはその後をついて行き、残されたダンテも後に続くのだった。
《私を置いて行かないで欲しいんだけど……》