語り部を待つ
そろそろ時間だな、とサンチョは癖のある金髪の頭を動かし、城の大広間に設置されている大きな柱時計へと目を向けた。
最近、この昼過ぎの時間になるとこの城には訪問者が決まってやって来る。そうして彼女の語る冒険譚やら童話やらに《父上様》が子どものように目を輝かせて耳を傾けるのが、この寒々しい城の日常になりつつあっていた。
そろそろ城門まで向かおうかと思案していれば、そんなサンチョの動きと考えを読んだのだろう。立派な玉座に腰掛けて分厚い本――とあるフィクサーの英雄譚に目を通していた男――サンチョの《父上様》であり偉大なる血鬼の第一眷属・ドンキホーテは本を傍らに置いて立ち上がると、ワクワクとした様子を隠さないでサンチョの側に寄って行く。
「なあ、サンチョ。そろそろバリが来る頃合いだな」
「そうですね」
素っ気なく返すサンチョに「釣れないなあ」とドンキホーテが唇を尖らす。そのやり取りの様子だけを見てみれば、どちらが親でどちらが子か分からない程だ。
バリ。フィクサーという職業を生業とする、《白い月の騎士》と呼ばれる女性。《孤独》という病に侵されたドンキホーテに《夢》を与えた者。
最初こそバリの訪問を鬱陶しく思っていたドンキホーテとサンチョだったが、今では彼女がやって来るのを今か今かと心待ちしているのだから人生とは分からない。それもこれも彼女が持ち込んで語る話が面白く、ある時は手に汗握り、ある時は切なさに胸を焼かれるからであろう。
だけど、それだけが理由でないことをサンチョは知っている。つい、と目線で傍らのドンキホーテを見やれば丁度彼は口を開くところだった。
「あいつも来ると思うか?」
「さあ。あの者が来るのは気まぐれですから」
「ぐっ……い、いや、今日は来るかも知れないだろう!?」
無関心そうながらも放たれたサンチョの正論にドンキホーテは一瞬怯むが、諦め切れないとばかりに食い下がる。
バリの《案内人》を名乗るその女は、バリが探し求める場所を求めて世界を回っているらしい。調査として単独で外郭や遺跡に赴くことも多く、毎回バリと共にこの城にやって来てくれるわけではないのだ。けれどその過程で得た、バリも知らぬ本を持ってきてくれたり話を披露してくれるのでドンキホーテは彼女の来訪も心待ちにしている。
「それ程までにあの者が……気に入っているのですか」
別の言葉を言い掛けて、少し考えたサンチョは敢えて別の言葉を口にする。
我らは誇り高き血鬼だ。人間などという下等な生物を食料とし、その生き血を啜って生きる尊き者。
だからその頂点に立つドンキホーテが、彼女を愛玩動物のように気に入り、愛でるのであれば大した問題ではないとサンチョは考えていた。
けれど――。サンチョは血のような紅い瞳を僅かに眇める。
来訪に心を踊らせ、熱に浮かされたように話に聞き入る。愛おしげにその名を口にする様子は、まるで――一人の女として愛しているようではないか。
叶わないことを。サンチョは心中で吐き捨てる。
自分たちは血鬼で、あの者は人間。血への渇望が抑えきれない限り、共に手を取り合って仲睦まじく暮らすなんてビジョンは夢のまた夢なのだから。
それでも――この父上様は可能だと自信満々に言い切るのだろうか。人と血鬼が楽しく暮らす夢を現実にしてくれるのだろうか。
そんな考えを抱いていればドンキホーテは緩やかな足取りで窓辺へと寄っていき、軽く寄り掛かって窓の外を見つめる。そうして静かな口調で口を開いた。
「ああ。俺はあいつのことが好きなんだろうな」
「ならば家族にしてしまえは良いではありませんか」
それの方が手っ取り早い。彼女を取り込み、眷属にしてしまうのだ。そうすれば家族として永遠に暮らせるというのに。
しかし。ドンキホーテは首を横に振るう。
「サンチョ。俺はな、あいつが鳥みたいに自由に飛び回っている姿が好きなんだ」
風の赴くままに飛び、美しい声で囀る鳥のように。そういうところに惹かれたのだから。
それ以上は追求せず、サンチョは淡々と「そうですか」とだけ返した。すると悪戯を思いついた幼子のような表情でドンキホーテは一つの提案を口にする。
「なあ、サンチョ……俺、良いアイデアが思い浮かんだ」
「……今度は何ですか」
また始まった。いつもの流れにサンチョは呆れ果てて溜め息すら出てこない。
「賭けをしようじゃないか。あいつが来るかどうかを。俺は『来る』に今日のティータイムの茶菓子を賭けるよ。お前は?」
「要りません。しかもその口振りだと、私が『来ない』に賭けないと成立しないじゃないですか……」
彼女の来訪も、茶菓子もそこまで興味はない。……まあ、彼女の持って来る新たな冒険譚とか、前回途中まで聞いた話は少しだけ気にならなくもないが。
気持ちを隠すようにサンチョが小さく咳払いをすれば、ドンキホーテの視線が窓の下方へと向かっていく。そしてその表情がパアッと明るくなったから、サンチョは彼の者の来訪を知るのだった。
「ほら、サンチョ! 出迎えてやってくれ」
心を踊らせながらサンチョに催促し、頷いたサンチョはドンキホーテに背を向けて歩き出した。
今日も間もなくすれば、この大広間に笑い声が響き渡るのだろう。それは少し……楽しみかも知れない。