粛清の夜
ルチオの自室。ベッドに座るようミアに言われたルチオは大人しく従い、隣に腰掛けたミアの手当てを受けていた。
ミアの手が、指が淀みなく動いてルチオの体に薬を塗り、ガーゼを当て、あるいは包帯を巻いていく。気分が良いのか、ミアは小さく鼻歌を歌っている。
「ちゃんと巻き方を覚えていてね、ルチオ。貴方が怪我をする時、必ずしも側にいて手当て出来るとは限らないのだから」
「はい」
言葉少なに頷く。腕にくるくると包帯が巻かれていく様子をじっと眺めながら、ルチオは時折ミアの顔を窺い見ていた。
綺麗な顔だ、と思う。確かルチオとはそれなりに年齢が離れている筈だが、その年齢差を感じさせない程にミアは若々しい。きっと何かしらでケアをしているからなのだろうが、馴染みのないルチオにはそれらがどういった術なのか全く想像出来ない。
そのかんばせが、瞳が、自分に向いてはゆるりと緩められる瞬間がルチオは好きだった。慈愛と優しさに満ちたミアの笑顔を受ける度、心の奥底がじんわりと暖かくなるような覚えがあるのだ。
そんなミアでも、仕事をしている時はきっと冷静に、冷酷に相手を粛清して回るのだろう。あまり想像がつかないななどと思っていれば、ルチオの記憶の奥底に引っかかるものがあった。そのまま記憶を糸を辿り、手繰り寄せたままにルチオは口を開く。
「……昔、貴方を拝見したことがあります」
手当ては止めぬまま、ミアが首を傾げた。
「昔? 此処ではなくて?」
「僕がまだ師匠に拾われる前……裏路地にいた頃です」
「うぅ~ん……」
ミアが柳眉を寄せ、記憶手繰ろうとする。しかしミアの方は記憶を辿れなかったのだろう。今度はその眉を申し訳なさそうに下げた。
「ごめんなさいね、あまり覚えていなくて……」
何処で出会っていたのだろう。幾ら辿れどミアの記憶の中にルチオの姿はなかった。
気にした素振りもなく、ルチオが頭を横に振る。
「覚えていらっしゃらないのも無理はありません。粛清があった夜、たまたま助けて頂いただけですから」
「そうだったの?」
ミアが目を丸くする。まさかそんな瞬間にルチオと擦れ違っていたなんて。そうして巡り廻った今、こうして傷の手当てをする間柄になっているのだから縁というものは分からない。
ルチオは思い返す。あの日のことを。
親指と、名前も覚えていない組織の間で起きた抗争。あちこちで悲鳴と破壊音が上がる騒がしい夜にも関わらず、ルチオは男に胸ぐらを掴み上げられて脅されていたのだ。さっさと金を出せ。じゃなきゃ俺があいつらに殺られる。そんなことを口角泡を飛ばす勢いで男が叫んでいたような気がする。
男が高く腕を振りかぶる。ああ、また殴られるのかと覚悟を決めたその瞬間、ルチオの眼の前の視界が急に開けた。
男の頭が吹っ飛んだのだ。
制御の失った男の手が緩み、解放されたルチオ共々その場に崩折れる。
倒れた男の向こう。そこには血の滴る長大なガンブレードを片手に、頭を失った男を無感動な瞳で見下ろす女性――ミアが立っていた。
きっとこの男が粛清相手だったのだろう。ミアはチラリとルチオを目に留めると「貴方」とルチオを呼ぶ。
殺されるかも知れない。この男のように。来たるべき死に怯えながら恐る恐るミアを見上げれば、反するように彼女はルチオから視線を外すところだった。
興味の一片すらも湧かないように。路傍の石から視線を外すように。
「危ないわよ。今この辺りは危ないから離れてなさいな」
それだけ言い、ルチオの返事も待たずミアは颯爽と前を通り過ぎて行く。その後ろには何人もの部下が整列して続き、誰もが銃剣を構えていた。
悠然と歩いていく凛々しい姿が記憶の片隅に残ってたのだ。ならば何故今の今まで忘れていたのかという話になるが、今眼前に居るミアと記憶の中のミアの印象が一致しないのだ。あまりに乖離しすぎている。
ならばどちらが本当の彼女なのかと問われれば、どちらもミアの側面だとルチオは答えるだろう。自分に注いでくれている慈愛に嘘偽りないとルチオは信じているが、他人や敵対者に対して冷徹に振る舞うミアも、彼女を構成する一部分だ。
――つくづく偶然ミアの目に留まったのだな、と考えてしまう。あの日あの時、ルチオがヴァレンチーナに殴られていなければ。ヨシヒデの去った《蜘蛛の巣》にミアが二度と来なければ。今この瞬間は無かっただろう。
偶然の重なり合いの上に立っている。ミアが差し出した救いの糸に縋っている。ならばこの糸を絶対離してはならない。
「……貴方の記憶になくとも、僕が貴方に救われたのは事実です」
静かな言葉に、ミアがおかしそうに肩を揺らす。
「大袈裟よ、ルチオ」
「本当のことを申したまでです。現に今だって、貴方に救われていますから」
「それこそ大袈裟よ。私はちょっと貴方の手当てをしているだけなのに」
クスリと笑い、ミアは手当てを続けていく。そんな安らかな時間を、ルチオは沈黙しながらも噛み締るのだ。
貴方は知らないでしょう。僕がどれほど貴方に救われているかだなんて。
貴方の小さな施しで、どれほど僕が幸福かなんて。