口が裂けても
「……ミアさん。どうか僕を、」
その次の言葉を吐くことは躊躇われ、ルチオは強く唇を引き結んだ。
ルチオの顔色は良くない。苦悩するように眉は寄せられ、表情も暗かった。何かあったのだろうというのは直ぐに想像が出来る。
執務机に向かって書類を眺めていたミアはその手を止め、困ったように眉根を寄せると出来るだけ優しい声音でルチオを呼んだ。
「……ルチオ、何かあったのかしら?」
慮るミアの様子にルチオは口を開きかけるが、躊躇うようにまた口を閉ざしてしまう。今更ルチオが何を言ったとて咎めることなどしないと言うのに。「ほら、続けて?」と促せば、戸惑いがちながらもルチオはゆっくりと口を開いた。
「僕は、貴方様の恩に報いることが出来ません」
ルチオが僅かに頭を垂れる。無力な己を悔いるかのように。
結局はパレルモの剣術を完璧に己の物に出来ず、ヨシヒデの《教本》にもなれなかったのだ。そんな自分がミアの側にいても迷惑を掛けるだけ。そんな思考がルチオに付き纏っていた。
ならば、彼女に捨てられる前に自分から去った方が良い。同じ傷が付くのなら軽い方が良い。そう結論付けて話を切り出したのは良かったが、ミアの顔を見たらその決心も揺らいでしまう。
ミアの顔が見れない。今彼女は、どんな顔をしているのだろうか。次の言葉を粛々と待つ。
「……ルチオ」
名を呼ぶ声は何処までも静かだ。
「私の側に居るの、嫌になっちゃった?」
「! そんなことは決して……!」
思わず顔を上げる。そんなことは決して有り得ない。寧ろ――狂おしいまでに愛している。自分だけのものに出来たらどれ程幸福かと夢想してしまったりもするのに。
ミアの言葉に驚愕していれば、視線の先でミアは困ったように微笑んでいた。その笑顔を見、ズキンと胸が傷んでしまう。ミアにそんな顔をさせたくなどなかったのに。
「貴方に落ち度も不足も何もありません。ひとえに僕の至らなさを痛感したまでです」
「最初から完璧さも強さも、私は求めてなんかないわ。貴方は若いのだし、これから経験を積んでいけば良いのよ」
ミアが椅子引いて立ち上がり、ルチオの前まで行く。ぶたれるのだろうかと目を瞑り身を固くしていれば、ミアの手がルチオの後頭部に回った。後頭部に触れた手は優しい手つきでミアの方に引き寄せられ、顔が胸に埋めるようにぎゅっと抱き締められてしまう。
恥ずかしさと困惑が一気にやって来る。もがこうにも無礼に当たるのではないかとグルグルと思考をしていれば、柔らかな声音が降ってきた。
「大丈夫よ、ルチオ」
触れられた手がルチオの頭を優しく撫でた。
「貴方が私を嫌いにならない限り、貴方を見捨てたりなんてしないから」
その言葉だけで、ルチオの心の中に渦巻いていた不安という名の霧は晴れていく。残るのは安堵感と穏やかさだけで、ミアの優しさを享受するようにルチオは瞳を閉じた。
「……有難う御座います、ミアさん」
これではもう手放してほしいなどと、口が裂けても言えなかった。