祝福を乞う
エラン・ケレスという男は私の婚約者だ。ペイル社の『ペイルグレード』というAIの定めた、互いの能力や家同士の利益やら結ばれた後の血縁を考慮した上での婚約。
婚約自体は別にどうだって良い。所謂政略結婚に抵抗は無いし、会ったエランは綺麗な顔をしていたから。一瞬女の子に見間違えてしまうほど整った中性的な顔立ち。私より綺麗なんじゃないかと思ったほどの薄い緑の髪と目。
一目惚れをしたのかと聞かれたらそうだったのかも知れない。だけど、だけど――
「お前ってあんまり可愛くないんだな」
私の顔をじろじろ見ての一言。
――私はエラン・ケレスという男の性格が好きではなかった。
傲慢で、自認する程度には性格が悪い。会食やパーティーで一緒になった時に嫌味のぶつけ合いになった回数は両手を合わせても足らない位だ。それでも婚約解消を言い渡さなかったのは、ひとえにエランの顔の良さと家の為という気持ちだった。あいつは己の顔の良さに感謝して欲しい。何度殴ろうかと思って留まったことか。
それがある日。私達がアスティカシアに入学する少し前だろうか。
ペイル社に呼び出され、応接室に通された。CEOやエランに呼び出されることはたまにあるので、呼び出し自体は別段気にすることのないことだ。ソファに座って待っていれば案の定スーツに身を包んだエランが現れ、対面のソファへ腰を掛ける。悠々と足を組む姿にいつも通り偉そうだなと辟易する。
「よぉ。相変わらずつまらなさそうな顔してるねぇ」
「よく言うよ。理由が分かりきってるくせに」
ふんと鼻を鳴らせばさも可笑しそうに笑う。本当に性根の曲がった奴だ。
それで、とエランが体の上で手を組む。
「俺達、今度アスティカシアに入学するだろ?」
「そうだけど、それが?」
「俺は通わない」
「……はい?」
まさか、突然になって通う学校を変えるとでも言うのか。困惑していればエランはニヤニヤとしながら続ける。
「強化人士は知ってるよな。その四番目が俺の代わりに通う。ま、お前はせいぜい俺の影武者と婚約者ごっこでもしてるんだな」
強化人士については知っている。エランの顔に整形された、ガンダムに乗る為のエランの代用品。代わりを立てれば自分がファラクトに乗らずともデータは取れるということなのだろう。
私はソファに深く座り直す。
「で、何? 今日呼んだのはその話だけ? だったら別にメールでも電話でも良かったじゃん」
「顔合わせしておいて損はないだろ? 折角三年間仲良くするんだからさ」
仲良く出来るかどうかは向こうに懸かっていると思うんだけど。オリジナルに似た人物なら平穏な学園生活は望めないだろう。
エランが後方を振り返り、「入ってこいよ」と扉に向かって声を投げる。扉が控えめに開け放たれ、馴染みのある顔が入ってきた。
一応、挨拶した方が良いのかなと思って私は立ち上がる。手を差し出せば私の前までやって来た四番目も応じるように白い手袋に包まれた手を差し出してくれた。
「えっと……エラン、で良いんだよね。宜しくね」
「宜しく」
あいつと同じ顔。同じ瞳。それはそうだ、エランと同じように整形させられているのだから。
だけど、違う部分は幾つかあった。エランより落ち着いた性格と、涼やかな瞳。
一目惚れがエランだとしたら、きっと初恋はエランだったんだろうなと、その後の学園生活を思い返す度に噛みしめるのだ。
「エラーン!」
授業が終わり、自身のテキストや筆記具を纏めたエランが立ち上がると、直ぐ様彼の名を呼ぶ明るい声が聞こえてきた。そちらに視線を向ければニコニコと上機嫌な様子で駆けてくる婚約者の姿があり。
「リーセリット」
「一緒に寮に戻ろ!」
「良いよ」
特に断る理由もないので了承し、二人で並んで教室を出ていく。寮までそう遠くない距離だと言うのに嬉しそうにしている様子は、まるで散歩に喜ぶ飼い犬の様でもあった。
エラン・ケレスの婚約者であるリーセリット・ラスタバンが『氷の君』にベタ惚れだという話は、彼女らが入学した当初から今に至るまで学園中に広まっていた。事実リーセリットは何かと理由を付けてエランの側に居たがるし、誰にも等しく無関心なエランも特に嫌がる様子もなくリーセリットを側に置いている。流石は婚約者だという声が上がるのは自然の道理だった。
「ねえ」
「うん? なあに、エラン」
純粋な好意を滲ませた声音で問うてくるリーセリット。その好意の根源を、エランは理解出来ずにいた。
己は影武者だ。顔が同じだけの、異なる人間。顔の造形が好きだと言うのならその言葉はオリジナルのエランに向けるべきだし、この性格や態度が人に好かれる類のものではないことは自覚している。
だから分からない。何が良くてリーセリットはこんなにも己に好意を向けてくるのかが。
「僕の何処が好きなの?」
「ふぇ!?」
喜色に満ちていた顔が一気に赤く染まる。リーセリットは落ち着かなさそうにそわそわと視線を彷徨わせたり手元の荷物を持ち直したりしていたが、やがてゴニョゴニョと普段の何倍も小さな声で呟き始めた。
「えと……まずは顔なんだけど」
「それは本人に言ったらどう?」
「ぜ、絶対言わない……! 悔しいもん!!」
まさか此処までオリジナルを嫌うとは。エランは内心呆れたように息を吐く。確かに彼の性格は良いとは言えないが、こんなに悔しがる程馬が合わないのか。
「で、でもね!!」
慌てた様子でリーセリットが続ける。
「いま隣に居るエランが……私が好きなエランの好きな所は、中身なんだよ」
「……中身?」
「そう!」
リーセリットが屈託なく笑う。その笑顔に胸の奥がチリ、と焼け焦げたような気がした。
「傲慢じゃないところとー……冷静で涼やかなところでしょ。それに……」
一際強く風が拭き、エランやリーセリットの髪をかき混ぜていく。夕陽に照らされたリーセリットの笑顔から不思議と目が離せないでいた。
「――私のことそんなに好きじゃなくてもこうして付き合ってくれるところ!」
へへ、と照れくさそうにリーセリットは笑う。そんなリーセリットに少しばかりエランは驚きと感心を抱いた。屈託なく笑う彼女らしく人の裏表をあまり気にしない――言い換えれば他人の感情の機微に疏そうだと思っていたが、そこは社交界に慣れた会社令嬢というところか。
確かにエランはリーセリットが好きではない。全て奪われた己に対して彼女は『全て』持っているからだ。
安定した明るい未来。確立されている地位。穏やかな生活――。
何も、何もかも。そのことに対して恨めしいと思ったことが無いと言えば嘘になる。
それでも、だ。
「……少し違うかな」
立ち止まり、リーセリットに向き直る。不思議そうにしながらも倣ってリーセリットもエランに向き直った。
「僕は誰かを好きになんてならない。だけどそれが君に興味を持たないということと同義にはならないよ」
無限に湧く水のように、溢れんばかりの好意を向けて来るリーセリット。気になるのだ、その根源が。
「君が気になるんだ」
「……へへ、そっか」
リーセリットは表情を崩す。やはりその笑顔を見ると、胸の奥が焦げるような気持ちになるのだ。
オリジナルには向けられない、自分にだけ向けられる笑顔。きっと人はその感情に独占欲だとか優越感というラベリングがされるのだろう。
「うん、それでも良いんだ。エランが私を好きになってくれる可能性がゼロじゃなくて少しでもあるんだから!」
ビシっとエランに向かって人差し指を突きつける。
「もっともっと私のこと、気になるようにさせるからね!」
挑戦的な台詞に、少しばかり期待がこみ上げるのだった。
「楽しみにしておくよ」