さようなら、大嫌いな君
「えーっ。エラン、検査で暫くペイル社に行かなきゃいけないんだ」
「半月くらいで戻るよ」
「しかも長いし!」
寮に帰る道すがら、明日以降の予定を伝えればリーセリットは唇を尖らせ、至極残念そうな表情をした。あからさまに落胆した様子を見せたリーセリットだったが、抱えた鞄を抱え直すと仕方ないと言うように小さく息を吐く。
エランは調整された人間だ。定期的に本社に赴いて調整し直さなければいけないのはリーセリットも知っているし、ザウォートやファラクトのデータを取らないといけないことも知っている。その為の影武者、その為の強化人士だ。仕方ないと割り切れても、半月も離れ離れになることに寂しさを感じているのだろう。
「……でもやっぱり半月って長くない? 二週間はあるんだよ?」
「仕方ないよ。僕にもやらなくちゃいけないことがあるんだから」
「それはそうだけどー……」
再度リーセリットは唇を尖らせる。一分一秒でも多く一緒に居たい、少しでも離れたくないと言う気持ちを抱いてくれるのは有り難いが――
歩きながら、エランは先日の出来事を思い返す。
エアリアルを賭けた、スレッタ・マーキュリーとの決闘。その決闘で敗北し『成果』の残せなかった強化人士に待っているのは『廃棄処分』だった。
それをリーセリットは知らない。知らせてもいない。知らなくても良い世界の話だ。
事実を打ち明けることは簡単に出来る。今からだって今回本社に赴くのは調整なんかではなく自ら死にに行くものだと告げ、リーセリットの心に消えない傷を作って去ることだって簡単だ。
だって、リーセリットは沢山持っている。夢も希望も、明るい未来も、なんだって。そういう人間に激しい劣等感や羨望、妬みを抱くし、リーセリットにもそういう感情を抱いていた。
けれど――それ以外の感情を覚えたのはいつからだったか。
リーセリットの笑顔をもう少し見ていたい。もう少し知ってみたい。もう少し――
もう少しだけ、側に居たいと。
人はきっとこの感情に『恋』や『愛』と名付けるのだろう。だけどこの気持ちを言葉にして伝えることは躊躇われた。
明日には死ぬ人間に何が出来よう? それにリーセリットは確かに婚約者だが、それはあくまで『エラン・ケレス』の婚約者であり、『強化人士四号』の婚約者ではない。今座っているこの椅子は、本来オリジナルの彼の物だ。
「……エラン、何か考え事してる?」
「……少しね」
リーセリットが顔を覗き込んでくる。顔には出てない筈なのに細かい反応や機微で察したのだろう。曖昧にエランが答えれば「そっか」とリーセリットは言い、それ以上深くは追求してこなかった。
……自分が居なくなった後、同じことを『次のエラン』にもするのだろうか? そんな考えがエランの脳裏を掠めていく。同じように親身になり、笑いかけ、好意を含んだ言葉を向けるのだろうか。そう思った瞬間、心の内に薄暗い靄が掛かったような気がした。
この感情は自分だけの物。そしてリーセリットが自分に向ける感情も、自分だけにして欲しい。そう思ってしまうのはエゴの押し付けだろうか?
「……あ。もう私の部屋着いちゃった」
残念そうなリーセリットの声音で現実に引き戻された。気が付けばもうリーセリットの自室は目の前であり、リーセリットの足が扉の前で止まる。
「それじゃ……エラン。また今度ね……で良いのかな?」
寂しさを隠すようにリーセリットは眉を下げて笑う。きっとリーセリットは隠しきれていると思っているが、彼女は存外顔に出るタイプだ。
このまま別れて良いのだろうか? 本当に?
――いや、
「――リーセリット」
「え? ……わわっ!?」
手を伸ばしてリーセリットの手を取り、引き寄せる。そんなことをされるとは思ってもみなかったのだろう。少し間抜けたリーセリットの声が聞こえた。
これが最後の別れなら。
だったら、永遠に刻み込もう。己という存在が確かに居たという事を。
引き寄せ、抱き締める。リーセリットの丸くて大きい瞳が驚きによって更に丸くなっている。猫みたいだ、なんて考えながらエランはリーセリットの顎に手を添えると僅かに上に向かせ、顔を近付けさせた。
唇が触れ合った、永遠のようでいて束の間の時間。エランがそっと顔を離せば、顔を真っ赤にさせたリーセリットと目が合った。
ぷるぷると震えながらリーセリットは己の唇に触れる。今のは錯覚でも幻でもなかったと確認するように。
「エ、エラン……?」
「嫌だった?」
「い、嫌じゃないんだけど。だけどって言うか、その、ごめん、待って……」
言葉にならない言葉を残しながらリーセリットは顔を覆い隠し、俯いてしまう。髪の間から覗く耳は林檎よりも赤かった。
「……その、びっくりしたのと、嬉しいのが一緒になっちゃって……言葉が出てこなかった」
顔を上げ、恥ずかしそうに笑う。その笑顔すら独占したいと思ってしまうのだから『氷の君』が聞いて呆れる。
だけど何時までもこうしてはいられない。エランはリーセリットを解放すると己の自室がある方へと足を向ける。
「それじゃ、おやすみ。リーセリット」
「あ、うん、おやすみエラン!」
手を振り、リーセリットは自室の扉を開けると中に入っていく。扉が閉まる間際に一度振り向き、リーセリットはニコリとエランに笑いかけた。
閉じ行く扉に向かって、小さくエランは呟く。
「……さようなら、リーセリット」
だから最後に、別れを告げよう。
さようなら、