言葉は鎮静剤ではなく、麻薬である
広い食堂の一角。大人数用の大きなテーブルに一人ぽつんと腰掛けて昼食の乗ったトレーをつついているリーセリットは、今日何度目かも分からない溜息を吐いた。
「エラン……いつ帰って来るんだろう……」
二ヶ月前に別れたきり連絡のないエランに思いを馳せる。こちらからエランの端末に連絡をしても繋がらないし、癪なのを承知で『本物の』エランに連絡をして聞いてみても「調整が終わってないんだろ」と一蹴されてしまった。
毎日端末の画面を見、エランからではない相手からのメールや電話に落胆する日々。学園内の友達と和気あいあいと過ごすような気分でもなく、こうして一人でぼうっとしていた。授業も身が入らないし、なんだか食事もあまり喉を通らない。
駄目だ、と頭を振るとリーセリットは半分近く残っているトレーを持って立ち上がり、返却口へと置きに行く。此処でダラダラとトレーと向き合っていたって時間の無駄でしかない。
何処か適当なところで昼休みの残り時間を潰そうとリーセリットは建物を出、舗装されたレンガ道を歩く。少し寮や建物から離れればアスティカシアは緑に囲まれており、此処が宇宙の中に築かれた場所だという事を忘れさせてくる。
歩きながらリーセリットは携帯端末を取り出して操作をする。
「音楽……って気分じゃないし、ゲーム……もなあ」
SNSをアプリを開き、適当にニュースやトピック、知り合いのページを見て回るがどうにもピンと来るものがなくて、結局そのアプリも閉じてしまう。何もかもつまらない。退屈だ。
仕方なしにカレンダーアプリを立ち上げる。直近の予定に目を通せば父親に付き添いでパーティーだとか会議だとか、エランとの会食だのと文字が並んでいて。思わず辟易してしまう。
――その時だった。
「リーセリット」
聞き慣れた声が鼓膜を優しく叩き、立ち止まったリーセリットは弾かれたように顔を上げる。顔を上げた先、伸びるレンガ道のその向こう。恋い焦がれた姿がリーセリットを待つように立っていた。
――やっと会えた! パッと朗らかな笑顔を浮かべたリーセリットは駆け出して――
駆け出して、直ぐに立ち止まる。
「……エラン?」
訝しむように名を呼ぶ。リーセリットに名を呼ばれても尚、エランは薄く笑みを浮かべたまま佇んでいるだけだった。
ぞわり、と悪寒が背中を撫で、嫌な汗が吹き出るのを感じる。本能が危機を感じたかのようにガンガンと頭の中で警鐘を鳴らしてきている。
眼の前の彼は本当にエランなのか? しかし彼はこういう風に笑みを湛えているような人だろうか?
「……違う……」
後ずさる。ガンガンと鳴る警鐘は激しさが増して頭痛を覚える程になっている。
不思議そうに小首を傾げたエランが一歩踏み出す。後ずさったリーセリットとの距離を埋めるように。
――違う、違う、違う!
しかし、認めてしまえば肯定する事になってしまう。全てを遮断するようにリーセリットは耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んでしまった。
眼前の事を否定するように。
最悪の事態から目を背けるように。
「リーセリット、どうしたんだい?」
ゆっくりと近付いて来る足音に聞こえない振りをする。
止めて。彼はそんな甘い声音で私を呼ばない。そんな優しい顔をしない。
だとしたら――眼の前の彼は誰で、一番愛しい人は何処に言ってしまったと言うのか。
気付きたくない。考えたくない。
「ほら、リーセリット。顔を上げて」
壊れ物を扱うような優しい手付きで《エラン》は片膝を付くとリーセリットの頬に触れ、自分と目が合うように上向かせる。キッと彼を睨みつけるが、ソレを受けた『エラン』は何処吹く風といった様子だ。
「……エランは何処?」
呟かれた言葉に《エラン》はクスリと笑みを零す。
「おかしな事を聞くね。此処に居るじゃないか。他でもない、君の目の前に」
「違う!!」
頬に触れている手をはたき落とす。そんな様子すらもまるで小動物の抵抗だと言うように呆れてみせた《エラン》は肩を竦めて笑う。
「……強化人士4号は何処って聞いてるの」
「ああ、その事か」
立ち上がり、合点が行ったように指を鳴らす。全て分かっているだろうに、いちいち仕草がわざとらしい。
『エラン』が笑みを濃くする。
「君だって理解しているだろう? 成果を残せなかった強化人士がどうなるかだなんて」
「……止めて」
「あいつはスレッタ・マーキュリーに負けた」
「止めて」
「だとしたら待っているのは」
「嫌、止めて……」
「――廃棄処分だ」
「止めてって言ってるでしょ!!」
パン、と甲高い音が響く。立ち上がったリーセリットが思いっきり彼の顔を叩いたのだ。
腕を振り切ったままのリーセリットの瞳が滲み、涙が溢れる。それは止めどなく溢れてきて、拭っても拭ってもリーセリットの頬を濡らしていく。
分かっていた。だけどそれと同時にその現実から目を背けたかった。
一番愛しい人が――4号が廃棄処分されたという事実から。
「君が幾ら事実を否定したところで変わらないよ」
リーセリットに顔を寄せ、耳元で囁くように《エラン》は囁く。
「これからは『僕』が君の婚約者だ。宜しくね、リーセリット」
その囁きは悪魔の甘言にも似ていて。
《エラン》はリーセリットの髪を一束手に取り、口付けを落とした。