灰被りと猫被り

「やあ。来たよ、リーセリット

 自室の扉を開けたリーセリットの視界に飛び込んできたのは、紛うことなき天使の笑顔だった。
 中途半端に扉を開けたままリーセリットは数秒考え込み、目の前の出来事を見なかった事にしようと決めたのかソッと扉を閉じようとした。その瞬間、勢いよく上等そうな白い靴が扉と壁の間に差し込まれ、驚いたリーセリットはエランを見上げる。彼はにこやかに笑いながら扉に手を掛け、閉じられるのを防いでいるところで。

「酷いなぁ。折角僕が迎えに来てあげたのに追い出そうとするなんて」

「頼んでないし呼んでないし約束してない!!」

 グイグイとドアノブを引っ張って扉を閉じようとするが、悲しいかな、男女の力量差というものがあり。いとも簡単に扉は開け放たれてしまい、引っ張る力を失ったリーセリットはよろめいてたたらを踏む。

「おっと」

 すかさずエランの手が伸びてきてリーセリットの腕を掴むとそのまま抱き寄せ、リーセリットの腰へと手を回した。するりと官能的な手付きで腰を撫でられ、リーセリットは小さく声を上げる。
 そっとエランが顔を近付ける。それから逃れるようにリーセリットはエランの胸元を押して逃げようとするが腕の拘束が緩む様子はなく、悔しさを紛らわすようにキッと眦を吊り上げてエランを睨みつけた。

「……ちょっと、離してよ。いい加減にして。あんまり度が過ぎるなら――」

「前みたいに頬をぶつ?」

 軽く首を傾げてエランは笑う。出来やしないのにと挑発するように。
 一度目は怒りが頂点に達したから咄嗟に手が出たのだろう。しかし二度目は? 頭の片隅に冷静さを残した状態でリーセリットが出来るとはエランは思っていなかった。
 事実を突かれたのだろう。ぐ、とリーセリットが喉を詰めたように呻く。

「……本当にあんた嫌い」

「本当に嫌いだったら、こうして触らせてすらいない筈だよ」

 腰を撫でる手を止めると今度はリーセリットの頬に手を伸ばし、壊れ物を扱うような手付きで撫ぜる。ぴくりと一瞬震えたリーセリットだったが、それでも払い除けたり怒鳴りつけるような素振りは見せない。ただただ睨むだけだ。
 そう、リーセリットエラン5号を心の底からは嫌えない。懐に入り込んで来るのを拒めない。向けられる好意を無下には出来ないのだ。
 ささやかな抵抗は続ける為まだ陥落したとは言えないが、それもいつまで保つだろうか。楽しみで楽しみで仕方がない。

「こうして触らせるのも、懐に入れるのも……少なからず僕に興味と好意があるからだ。……違うかい?」

 脳を蕩かすように甘く囁やけば、リーセリットは一瞬で頬を赤く染める。ああ、本当に可愛らしい。

「~~っ、朝っぱらから口説きに来たんじゃないでしょ!?」

 耐えかねるようにグイとエランの胸元を押して体を引き剥がし、数歩分の距離を取ったリーセリットがキャンキャンと子犬のように吠えた。押された胸元を押さえて痛そうな素振りを見せたエランだったが、リーセリットの言葉に思い出したかのように指を鳴らす。

「一緒に屋台を見に行こうよ」

「一人で行けば?」

「そんなの味気ないじゃないか。折角の催しなんだから楽しまなきゃ」

「スレッタ誘えば?」

「あれぇ、嫉妬?」

 無言でリーセリットの拳が飛んでくる。余裕で避ければ忌々しそうに舌打ちされた。

「そっちは後々声を掛けるとして」

「ふーん。結局行くんだ。というか、私が友達と約束を取り付けてるとか考えてないワケ?」

「へぇ。居るんだ、友達」

「……こいつ……」

 次は蹴りの一つでもお見舞いしてやろうかとリーセリットが思案しているとエランが手を差し出してきた。恭しく、思いやるように。

「君と巡りたいっていうのは本心だよ。紛れもなくね」

「……どーだか」

 フン、と鼻を鳴らしつつもリーセリットはその手を取る。
 その言葉が本心であるかどうかは置いておき、リーセリットは断りきれないのだ。微かに抱いた情を捨て去らない限りは。


◆◆◆


 二人で並んで歩き、路上に出ている露店を冷やかしていく。リーセリットが自分用にアイスを買おうと生徒手帳で決済しようとすれば、リーセリットが端末に翳すよりも早く、横から伸びてきたエランの生徒手帳が決済を終えてしまった。ムッとした顔で隣を見やれば、勝ち誇ったように生徒手帳を軽く振るうエランが居て。

「アイス位、自分のお金で買えるし」

「奢らせてくれよ、婚約者なんだから」

 何かとつけて婚約者として振る舞おうとしてくるエラン五号は、必要最低限しか振る舞おうとしないエラン本物に比べたらよっぽど『本物の婚約者』らしかった。そうしている内にもエランは店員役の生徒から受け取ったバニラアイス入りのカップを受け取り、笑顔でリーセリットへ差し出している。苦虫を噛んだ様な顔をしながらもリーセリットはカップを受け取り、再び歩き出しながらアイスにスプーンを刺した。
 口に運んだ瞬間、ふわりとリーセリットの表情が綻ぶ。

「あ、結構美味しい」

 たかが学園の催しと侮っていたが、そこは各地から御曹司やら次期当主、社長令嬢が集まるアスティカシアと言うべきか。なかなかに上質な物を使っているらしく、有名なレストランやカフェで出されるような濃厚なミルクの味わいだった。

「へぇ、どれどれ」

 二口目をとアイスにスプーンを刺した時、決済をした時のように横から手が伸びてきて、その手はリーセリットの手首を掴んだ。腰を僅かに屈めたからかやたらと顔が近くなり、サラサラとしたエランの髪が一瞬頬を掠める。リーセリットの口へと向かっていたスプーンの軌道は変えられてしまい、エランの口へと運ばれてしまった。
 顔を離したエランがぺろりと己の唇を舐めた。その蠱惑的な所作を目に留めてしまったリーセリットは己の頬に熱が集っていくのを感じる。

「ん。まあまあだね」

「……って、自分で買って食べれば良いでしょ!?」

 グイグイとエランの肩を押して距離を空けようとする。カラカラと楽しげに笑うエランとすれ違った生徒がまるで幽霊でも見たかのように振り返り、或いは連れている友人らしき生徒とヒソヒソと耳打ちし合っていた。
 それもそうか、と適度な距離を空ける事に成功したリーセリットはアイスを口にしながら思う。寡黙で冷静、絶対に笑わないし馴れ合わない『氷の君』が愛想良く笑い、婚約者に絡んでいるなど。数ヶ月前を思えば別人にでもなったのかと思うだろう。
 ……実際、そうなのだが。

「……この後のランブルリング、あんたも出るんでしょ」

 バニラアイスを突っつきながらリーセリットが小さく呟く。その声は何処か沈んでいるようにも聞こえた。
 エランが制服のポケットに両手を突っ込む。

「そう、株式会社ガンダムのテスターとしてね。君もでしょ?」

「私は普通にモビルスーツの搭乗者としてだけどね」

 エランが株式会社ガンダムのテスターとして雇われた際、リーセリットも同様に雇われていた。ガンダムの乗り手がスレッタ一人では心許ないと理由でエランが雇われたように、モビルスーツの乗り手がチュチュ一人では、という理由だった。だから今度の『ランブルリング』でもエランとリーセリットはペイル社代表でもペイル寮代表でもなく、株式会社ガンダムの代表として参加する予定だ。

「……あんた、GUNDフォーマット使うの?」

「使って欲しいの?」

「違う!」

 キッと眦を釣り上げて顔を上げれば、飄々とした笑顔を浮かべるエランと目が合った。視線のぶつかったリーセリットは気不味そうに顔を逸し、小さく呟く。

「……使って欲しくなんか、ない。あんたにも……エラン四号にだって、そう思ってた」

 それはきっと、リーセリットがずっと心に溜めていた本心なのだろう。
 アイスを食べ進める手が止まっている。リーセリットの手の熱で温められたカップの中で、じわじわとアイスが溶けていく。
 それは彼ら『強化人士』の存在意義を否定する行為だ。ガンダムに乗る為だけに顔を変えられ、『エラン・ケレス』となり、調整された身体でデータストームを受け、ガンダムのデータを集める。それを止める資格も権利もリーセリットに無いのは重々承知なのだが、少しでも長生きして欲しいと願うのは己のわがままなのだろうか。

「……使わないよ、僕は」

 ぼそりと呟かれた言葉にリーセリットは再度顔を上げる。エランの顔を見れば、彼は何時になく真面目な顔をしていて。
 リーセリットと目が合ったエランは小さく笑うとおどけたように肩を竦める。

「ま、折角この顔になってまで生き延びたんだしね。精々長生きさせてもらうさ」

 ほら行くよ、とエランはリーセリットの手を取る。リーセリットを安心させるかのように。
 その手の大きさと温度に安堵感を覚えてしまうのだから、彼に入れ込み始めている自分が居る事実にリーセリットは息を吐いた。


2023/06/22