君と描く明日へ

「だから……クワイエット・ゼロなんか、無くったって――!!」

 スレッタの叫びに呼応するように、ガンダム――キャリバーンの胸部や肩のパーツが赤く発光する。それはスレッタが命を削り、データストーム汚染に耐えながらパーメットスコアを上げている証拠だ。
 プロスペラのボディガードであるゴドイに拘束されながらも、リーセリットやエラン、地球寮の面々は固唾を飲んでその様子を見守る。
 過呼吸にも似たスレッタの呼吸が聞こえる。それもそうだ、常人ですら一歩間違えれば死に至るパーメットスコア三や四を超え――八を目指そうとしているのだから。今彼女に掛かっている負担は尋常じゃない筈だ。心臓は破れるんじゃないかと思う程鼓動が早いし、息は上手く吸えない。耳鳴りは酷くてノイズのようだし、誰かが己の名を呼んだところで聞こえないだろう。
 そんなスレッタの呼吸が次第に弱くなり――止まる。何かあったのかと皆も息をする事すら忘れて見守っていれば、弱々しいスレッタの声が聞こえてきた。

「エラン、さん……?」

「――!」

 リーセリットが息を飲む。それはリーセリットの傍らに居る《エラン》を呼ぶ声ではない。
 じゃあ誰なのか? 身を乗り出してキャリバーンの佇むフロアへと目を向ければ――見覚えのある房の付いたピアスが揺れ、愛おしい後ろ姿が見えた。

「また、困ってる?」

 その声は間違いなくエラン4号だった。
 優しくて、涼やかで穏やかな声。リーセリットが一番好きな彼が、そこに居た。

「どう、して……?」

 ぜいぜいと息をしながら、弱々しくスレッタが問いかけた。

「此処には強化人士のオルガノイドアーカイブが組み込まれているから。今は……この子と同じって事かな」

 傍らの大破しているエアリアルへと視線を移す。つまりエアリアルの中にエリクトの意識があるように、彼の意識は今このクワイエット・ゼロの中にあるという事なのだろう。

リーセリット

 エランが振り返り、リーセリットへと視線を向ける。エランはその端正は顔を僅かに歪め、

「……君にも、謝らなくちゃいけない事がある。すまない、処分される事を黙っていて」

 最後に会った時、エランは検査だと偽ってペイル社へと向かった。もう二度と会えないのを承知で、だけどまた会えると叶わない約束をして去った。
 彼女は優しい人だ。きっと自分が処分されてこの世から居なくなったと誰かに聞かされ、心を痛めて泣いたかも知れない。……泣いて、居てくれたらなと思う。

「君の一挙一動が気になった。僕に向けられる好意と笑顔に胸が温かくなった。……僕が去った後、強化人士五号がやって来たとして、それらが彼にも向けられるのかと思うと心臓を強く掴まれたような気持ちになったんだ」

 リーセリットが丸い目を大きく見開く。ああ、『あの時』と同じで『あの時』のように可愛らしいななんて思いながら――エランは微笑む。

「きっと、これが誰かを好きになるという気持ちなんだろうね。……リーセリット、君が好きだ。……愛していた」

「……ふふ、」

 リーセリットの瞳の縁から涙が溢れ、無重力下であるが故にそれらは玉となって宙に浮いた。泣きながらもリーセリットははにかむように眉を下げて笑う。

「もう過去形になっちゃったの? エラン」

「……ううん」

 エランが緩く首を横に振る。そうして心の底から愛おしい人を見つめるように微笑んだ。

「今でも君を想ってる」

「……良いの?」

 ぼそりと小声でミオリネが傍らのエラン5号へと耳打ちをする。エランは小さくフンと鼻を鳴らし、

「……ま、僕は理解ある婚約者だからね。あいつと同じ位好きだと言われても、見せつけられても寛大な心で許せるんだよ」

 そんな何処かで聞いたような台詞を口にし、ミオリネは小さく笑った。
 エランが白い手袋に包まれた手をスレッタへ差し出す。それはさながらダンスを申し込むように。

「始めよう。スレッタ・マーキュリー」

「……はい!」

 差し出されたエランの手に、キャリバーンの指先が触れる。その瞬間、眩い光のようにデータストームが生じ、エアリアルを抱えたキャリバーンが射出口を通って宇宙空間へと向かった。

『ミオリネさん!』

「スレッタ!?」

 クワイエット・ゼロのシステムを乗っ取ったのか、通信システムからスレッタの声が聞こえた。
 ミオリネが声を張り上げる。

『クワイエット・ゼロがまた狙われています! 皆さん此処から逃げて下さい! お母さんも!』

「動くな、これ以上は……」

 ゴドイが拳銃をミオリネに照準を合わせるが、臆する事なくミオリネは床を蹴って前へと進む。
 ゴツ、と銃口がミオリネの額に当たる。それでもミオリネは毅然とゴドイを見返し、静かに告げた。
 
「連合の動機を無くせば良いんでしょ?」

 通信システムの画面が切り替わる。――広域通信に変わったようだ。

「ラグランジュ4、及び周辺宙域内の全ての人、聞こえますか? 私はベネリットグループの代表清算人……ミオリネ・レンブランです。ベネリットグループは先程、グループ解散と、精算手続きの申請を行いました。弊社の資産は先のグラスレー社と同様、地球側の企業へ売却もしくは合併を行う形で、合意に至りました」

 ミオリネの高らかな宣言にリーセリットが吹き出し、肩を揺らせて笑う。

「まさか、こんな形でベネリットの資産を手放しちゃうなんてね。最高だよ、ミオリネ」

 随分と大それた事をやってのけたなと思うが、確かに大本であるベネリットが解散してしまえば、これ以上議会連合が関与する事も総裁選も無くなるだろう。
 
「一連の事件に関与していたという証拠資料を、シャディク・ゼネリの宣誓供述書とともに公表することをお約束します」

 地球へと流れていくベネリットの資産はどうなるのだろう。シャディクが願ったように地球側の軍資金になるのかも知れないし、難民の子供達の生活や教育と言った事に使われるのかも知れない。
 ――それはまだ、誰にも分からない未来の話だ。

「でもさ。ベネリットの解体って、君の家の会社だって無関係で居られないんじゃないの?」

 側のエランが体を寄せて話し掛けてくる。
 確かに、リーセリットの家が経営している『ラスタバン・インダストリー』はベネリットグループの傘下であるペイル社の更に傘下なのだから、大なり小なり影響やダメージを受ける筈だ。
 しかしリーセリットは笑いの余韻を残しながら続ける。

「ふふふ、あんまりウチのお父さんを舐めないでよね。必要としてくれる会社は沢山ある。この先も上手くやれるでしょ」

 全面の信頼を置いたその声は、如何に彼女が親に愛情を注がれて育って来たのかが十二分に伝わってくる。そしてリーセリット自身も経営の手伝いをしているからこそ、ある程度の展望に目処がつくのだろう。
 全てを持つリーセリットを妬ましいと思わなくはなかった。何も無く、顔を変えてまで生き延びている自分と比べても、彼女はあまりにも多くの物を持っている。
 しかし、そこを含めて好きになってしまったんだからしょうがない。輝き、熱を発する太陽は近付けば蝋で出来た羽は溶け落ち、身を焦がしてしまうが、一度知ってしまったその暖かさを手放す事は出来ないし、手を伸ばさずにはいられないのだ。

「ほら、脱出だ」

 拘束を外してもらったエランが手早くリーセリットの拘束も解き、手を差し出す。
 迷わずに手を掴む。分かたれようとも決して離れないように。


◆◆◆


 宇宙側の軌道エレベーターのステーション。多くの人々が行き交うその場所でリーセリットは二人掛けの席の一つを陣取り、クリームがたっぷり乗せられたエスプレッソをストローで啜りながらノートパソコンの画面と向き合っていた。その画面には色々なグラフやら数値が表示されており、リーセリットは時折難しそうな表情をしている。

「こんな時まで仕事?」

「うわっ」

 急に後ろから抱き竦められ、頭上から柔らかい声が降ってくる。
 この声に心当たりは複数あれど、こんな時にこんな事をする人は一人に限られる。中身が零れないようにエスプレッソの入ったカップをパソコンから遠ざけ、リーセリットは上を向いて顔を確認した。
 柔らかな緑が視界に溢れる。ラフな格好に身を包み、バックパックを括り付けた大きなキャリーケースを引いているのは、リーセリットの恋人でもある彼だ。

「少しでも受け持ってるプロジェクトを進めたり、誰かに委譲して終わらせないと。その為には一分一秒でも惜しいんだもん」

 リーセリットが悪戯っぽく笑う。

「――あんたと少しでも早く一緒に旅する為にもね」

 その笑顔と言葉に一瞬面食らったように目を見開いたエランは、リーセリットを解放して姿勢を正すと深くため息を吐いた。
 ……あの騒動からおよそ一年。何かと共に行動している内に何時しかリーセリットは精神的に強くなったのか、エランの挑発に余裕綽々と言った様子で返すようになって来た。
 それは些か面白くないが、それでも耳元で甘やかに囁やけば依然として顔を真っ赤にさせて文句を言ってきたり怒ってきたりするのでからかい甲斐があって良い。

「君は寂しくないの? 当分僕と離れ離れだって言うのに」

 空いている対面の席に座り、リーセリットのエスプレッソを勝手に飲み始める。「それ私のなんだけど」と不満の声が飛んでくるがエランが気にする素振りは見られないし、リーセリットも本気で窘めているつもりは無い。あくまで形だけだ。
 「返して」と手を差し出してエスプレッソを一口飲んだリーセリットは、カップから伸びるストローを突く。

 これからエランは旅に出る。ノレア・デュノクが遺した手帳だけを手掛かりに、彼女が遺した景色を探し出す為に。
 いつ終わるのか、何年掛かるか全く分からないこの旅路にリーセリットも付いていくつもりだったが、思い立って直ぐに付いて行ける程リーセリットは身軽ではなかった。
 家の会社で手伝いとして関わっていたプロジェクト、進めていた企画が幾つかあるのだ。それらはエランが計画をリーセリットに話してから徐々に片付けていたものの、一年経った今でもまだ進行途中の物が幾つかあって。エランの出立を遅らせるのも忍びないので先に旅立って貰い、後から合流する予定だ。
 リーセリットは机に片頬を付く。

「寂しいって言ったらあんたは残ってくれるの?」

「それは君のおねだり次第かな。ベッドの上に居る時みたいに、可愛く僕に――」

「わ"ーーっ!?」

 天使のように柔和に微笑んだエランの口から飛び出そうになった爆弾発言を、リーセリットはエランの口ごと手で押さえて留める。キッと睨みつけて来る顔は赤く染まっており、予想通りの反応が返ってきた事にエランは気を良くした。やはりリーセリットをからかって遊ぶのは楽しい。
 
「……あんたほんと最低。ばか」

「そういう所を含めて好きなくせに」

「ぐっ……」

 ぐうの音も出ないとは正にこの事だろう。どれだけ意地悪をされた所でもう嫌いにはなりきれないのだから。惚れた弱みと言っても差し支えないかも知れない。
 と、地球行きのエレベーターの出立時間を告げるアナウンスがフロアに響き渡った。時間を間違えていなければ確かこれでエランは地球へと降りる予定で。
 作業を保存してパソコンの電源を落とし、リーセリットは立ち上がる。搭乗ゲートまでは見送ろうと思ったのだ。

「あんた、この便でしょ。ゲートの所まで行くから」

「……君ってば、本当にあっさりしてるよね。もう少し別れを惜しんでくれたって良いじゃないか」

 リーセリットは残っていたエスプレッソを飲み干し、ダストボックスへと捨てる。

「だって別に、今生の別れってワケじゃないし。仕事が早く終わればそれだけ早くあんたに会いに行ける、声が聞きたくなったら電話も出来る。そうでしょ?」

 さっぱりとした口調でリーセリットは言いのける。
 そう。これが今生の別れならきっと泣いて泣いて、エランとの別れを惜しむのだろうが、少しの間離れ離れになるだけなのだ。互いの近況だって電話一つで話し合える。音信不通で暫く連絡が付かず、エランの安否が分からなかった時よりは何倍も精神的に余裕がある。
 けどエランは――それがあまり面白くない。
 「泣いているリーセリットを可愛がりたい」と言う歪んだ愛情と嗜虐心を抱いていると言うのも大いにあるが、これではまるで――自分ばかりが別れを惜しんでいるようではないか。
 もっとコロコロと表情を変えるリーセリットが見たい。どうしたものかと考え――名案を思いついたエランは立ち上がるとリーセリットの前に立ち、彼女の頬に触れた。長くなった付き合い故か、教えた甲斐があるべきと言うか、次に何をされるか一瞬で理解したリーセリットの顔が赤くなり、抵抗するようにエランの肩に触れて押し返そうとする。
 けれどリーセリットだって本気で抵抗する気は無いらしく、エランの肩を押す力はさほど強くない。時と場合を考えろ、という意味合いの方が強いのだ。
 頬に触れていた手を顎へと動かして添え、顔を寄せる。口付けを落とせば、特に抵抗は無く。
 酸素を求めてリーセリットが僅かに唇を開いたところで舌を差し入れ、口内を暴いていく。慌てたようにリーセリットが胸を叩いて来るがエランはお構いなしだ。
 散々好き勝手蹂躙した後で漸く唇を離す。羞恥と酸素不足で顔を赤らめ、肩を上下させるリーセリットを見てエランは胸の中が空いた様な気がした。

「……ま、これで当分僕の事を忘れられないかな?」

 ぷるぷると震えるリーセリットを離し、キャリーケースを掴んでさっさと搭乗ゲートへ向かおうとするエランに向かって飛んでくる声があった。

「~~っ! あんたねぇ、覚えてなさいよ!!」

 そんな捨て台詞を耳にしながらエランはひらりと片手を振り、搭乗ゲートを潜って行った。
 ――これでリーセリットに鮮烈な記憶を植え付けられた事だろうと口角を緩く持ち上げながら。


2023/07/30