愛は呪いで恋は執着

 スレッタ・マーキュリーが入学して早々『エラン・ケレスがスレッタ・マーキュリーに気がある』という噂が流れ、台風のように学園内に広まるまでにそう時間は掛からなかった。
 他人の噂話なんてどうでも良い。「あの氷の君が水星女に優しく微笑んでいた」「エラン先輩からデートの誘いをしたらしい」「課題で困ってた転入生を助けたらしい」「というかペイル寮に誘ったって」……概ね事実なので否定は一切しない。
 ただ、そう言ったエランの優しさは私だけに向けられる物だと思っていた。仮初めとは言え婚約者である私だけの、特権みたいな物。そう勝手に思っていたからだろうか。心の中がモヤモヤとして、二人の顔が見れなくなった。
 胸の奥がチリチリと焦げて痛い。こんな醜い感情を抱えたままエランと向き合いたくなくて、隣の席を陣取っていた授業も、一緒に食べていた昼食や夕食だって何かと理由を付けて私はエランを避けるようになってしまった。世界で一番だと言いきれる程に大好きなのに。どんどん心が沈んでいくような気がする。

「はぁ……」

 一人きりの自室でベッドに寝転がり、無意味に天井を見つめる。明日の授業の準備やお風呂なんかの寝支度をしなくちゃいけないのに気力が湧いてこなくて、ただただボーッと無為に時間を潰していた。
 傍らの生徒手帳がメールの通知音を鳴らす。誰かと思いながらのそのそと寝返りを打って生徒手帳を手に取れば、通知バーには『エラン・ケレス』の文字が映っていて思わず私は身を起こす。
 直ぐ様生徒手帳の画面を開く。そこにはエランらしい簡素な短文が綴られていて。

『大丈夫? 調子が悪そうに見えたけど』

 心配してくれてる。私を見てくれていた。その事実に沈んだ心がゆっくりと浮いてくる感覚がしたがそれは一瞬の事で、鉛を取り付けられたかのように直ぐ様心はまたズシリと重く、沈んでいく。

 ――スレッタが同じようにしてたら、同じようにエランは声を掛けてるのかな。

 一人で勝手に想像して、一人で勝手に落ち込む。我ながら馬鹿みたいだった。
 っていうか、きっとそうだ。課題で困ってるとこに声を掛けたらしいんだから、スレッタが具合悪そうにしてたらきっとエランは声を掛けて、本当に具合が悪かったら医務室なり休憩所なりに連れて行くんだ。
 スレッタが嫌いなワケじゃないけど、どんどん嫌な想像をしていってしまう。例えばエランがあの子に恋愛感情を持ってしまったら。私との婚約を解消するなんて言ったら――
 嫌な考えを捨てるように頭を振り、生徒手帳をスワイプして文字を入力していく。今日ばかりは対面して会話するでもなく、電話でもないメールでのやり取りに心底安堵感を覚えた。これなら例え声が震えていても涙目になっても、気不味さに目を逸していてもエランに伝わらないのだから。

『大丈夫! 心配してくれてありがとね』

 取り繕った言葉で返し、生徒手帳をサイドテーブルに置いてから消灯する。少し早めに起きてシャワーを浴びれば良いか、なんて考えながら瞳を閉じる。
 
 ――こんなに自分らしくない、鬱々とした私なんて嫌いだ。


◆◆◆


 近頃、リーセリットの様子がおかしいとエランは感じる。
 自室で小説を開きながら思案してみる。普段なら暑いと感じる位引っ付いて来たり、何も言わなくても隣の席陣取って来たり食事を共にするのに、此処数日は「友達と先に約束してたから」「家の用事が片付かないから先に食べてて」と妙に躱されたり、避けられたりするのだ。
 何か彼女の気に障るような言動をしたかと、直近の己の行動を振り返る。何時も通りに授業を受け、決闘があれば受け、或いは立会人として承認し、検査があると言われればペイル社に赴いて受ける。何ら変わりの無い日々……と感想を付け足そうとしたその時、エランは最近学園内でよく耳にする噂の存在を思い出した。
 己とスレッタの仲が良い事を囃し立てる噂。エアリアルを得る為に近付いているので概ね事実しかない噂の数々だが、その中で引っ掛かりを覚える物があった。
 曰く――『エラン・ケレスはその内リーセリットラスタバンとの婚約を解消してスレッタ・マーキュリーに乗り換える気だ』と。
 人とは些細な噂に尾ヒレ手ヒレを付けるのが好きだなと辟易してしまう。本人達がどう思っていようとも勝手に推察し、娯楽として消費していくのだから。
 そんな噂、エラン自身は気にも留めて居なかったのだが、リーセリットはどうだろうか? 周囲の噂なんて気にしないタイプだと思っていたが、気にしていると言うなら此処数日の彼女の違和感を抱く行動にも合点が行く。
 下らない噂を流す周囲も、それを真に受けてしまうリーセリットにも僅かな苛立ちを覚えてる。それなりに好意を示してきたつもりだったが、どうやらリーセリットには伝わって居なかったらしい。
 リーセリットが嫌いなら、側に置いていない。触れる事も許していない。彼女の為に時間を割く事だって、物事を共有する事だって――そこまで考えて、エランは自嘲気味に笑みを零す。
 ――己の対極に立っている、全てを持っているような彼女に此処まで入れ込む羽目になるなんて、一体誰が想像出来ただろうか。
 兎にも角にも、リーセリットと対面して話す必要がある。なので生徒手帳のメールで会う約束を交わそうにも断られてしまうし、授業の終わりや昼食時間に顔を合わせても脱兎の如く避けられてしまう。
 仕方ない。ただ開いていただけになっていた小説を閉じ、椅子から立ち上がったエランは自室を後にする。
 向かう先はそう離れていない。少し歩けば目当ての部屋はすぐに見え、立ち止まったエランは扉を叩く。
 反応はすぐにあった。

「はぁい」

「僕だけど、今少し良いかな」

 扉の向こうでバタバタと音がする。「ちょ、ちょっと待ってね!」と慌てたリーセリットの声が聞こえ、宣言通り少ししてから扉が開かれた。
 申し訳無さそうに、少し眉を下げたリーセリットが顔を覗かせて、そろりと廊下に出てくる。その様子はまるで叱られる事が事前に分かっている子供のようだ。

「すまない。夜遅くに」

「ううん。大丈夫……なんだけど、何か急の用事? 決闘委員会とか、ペイル社の事とか……」

「君と話に来たんだ」

 リーセリットが僅かに目を伏せる。それは今からエランが噂を肯定する事を覚悟しているからか、避けている事への後ろめたさ故か、或いは両方からか。
 伏せたのは一瞬だけで。すぐにリーセリットはエランの顔を見上げた。

「まず、噂は所詮噂でしかない。君が気にしているというならそれは只の杞憂だ」

「……え?」

 エランの口からそんな言葉が出るとは思っていなかったのだろう。リーセリットは目を瞬かせ、言葉の意味を咀嚼している。
 リーセリットの反応を見てやはり、とエランは確信する。彼女は此処最近流れている噂を真に受けていたのだ。
 苛立たしい。エランは手を伸ばし、リーセリットの手首を掴む。僅かに顔を近付ければ驚いたようにリーセリットの瞳が大きくなる。
 気不味そうにエランから目を逸らし、もごもごとリーセリットが小さく口を開く。

「だ、って……エラン、スレッタの方が好きなんじゃないの」

「僕がいつ言った?」

「ま、周りの子達が……」

「君って周りの評価や噂を気にするタイプだったっけ」

「う……」

 些か語気を強めればリーセリットがたじろぐ。普段から冷静で理知的なエランでは考えられない行動をしたのだから当然だろう。
今まで無かった事態にリーセリットの頭は処理が追いつかず、ぐるぐると混乱してしまう。自分からエランとの距離は詰めても、その逆は無かったのだから。――明らかなキャパオーバーだ。

「君が分かってないのなら、改めて僕の口から説明させて貰うよ。僕は君に好意を持ってるし、婚約者を乗り換える気もない。噂なんて外野に勝手にさせておけば良いんだ」

「こっ……好意?」

 もう一度息を吐く。この婚約者、自分には散々愛情を与えておきながらソレが自分に戻って来る事は微塵も頭に入れてなかったらしい。
 空いている手でリーセリットの片頬を優しく包めば、緊張したように体を強張らせる。

「こうして触れたいと思うのも、側に居たいと思うのも君だけだよ」

 その言葉の意味をしっかりと受け止めるように暫しリーセリットは目を瞬かせ、そうしてリーセリットはふにゃりと表情を崩して笑った。心から嬉しく思うように。

「……じゃあ、また一緒にお昼ご飯食べても良い?」

「君が誘わないなら、僕から誘ってた」

「ふふ、そっか。嬉しいなぁ」

 恋は美しいものだと誰かが言っていたが、ちっとも美しくないじゃないかとリーセリットの笑顔を見つめながらエランは思う。
 恋は執着で出来ているんだ。リーセリットを独占したいという気持ちも、側に居たい気持ちもそうでなければ説明が付かないし、誰にだって渡したくないと思ってしまう。……《本物》にだって、自分の次に現れる《5番目》にだって。
 だから愛という呪いを掛ける。リーセリットがこの先死ぬまで《エラン・ケレス強化人士4号》を忘れられぬように。愛するように。

「……君の事が好きだ、リーセリット

 君に呪い祝福あれ。


2023/10/02