机上空想論

「エラン様の婚約者の座を賭けて、決闘を申し込みます!」

 授業終わりの廊下。エラン5号と共に昼食を摂るべく食堂に向かおうとしていたリーセリットは女子生徒に呼び止められ、そんな宣戦布告を突きつけられた。
 向き合った女子生徒の頬は紅潮しており、もじもじと所在なさげに指を組んだり解いたりしている。それは憧れであり恋心を向けるエランを前にしているからか、緊張しているからか。

「良いよ。決闘、受けてあげる」

 あっさりと了承をしたリーセリットは生徒手帳を取り出し、予定を確認する。空いている日を告げて時間を決め、使用する戦術試験区域と戦闘方式の確認する。最後に――

リーセリットさんには、エラン様の婚約者の座を賭けて貰います」

「じゃあ私は、あんたの会社が保有してる木星のレアメタル採掘権でも貰おうかな」

「そ、そんな物を対価に……!?」

 木星のレアメタルと言えばMSのモニターや精密部品に多く使われる鉱石郡であり、需要に対して採掘量が圧倒的に少ない事から様々な企業がレアメタルの採掘権を求めて熾烈な争いを繰り広げている。
 驚いた素振りを見せる女子生徒に対し、リーセリットは呆れたように眉を顰めた。

「あんたが勝てばペイル社の御曹司であるエランの婚約者になるんだよ? それに相応する物は賭けてもらわなきゃ、私がこの決闘を受けるメリットがない」

 女子生徒を納得させ、別れたリーセリットはエランと共に食堂へと向かった。それぞれが食べたい物を頼み、席を探す。適当なテーブルに腰掛ければ当たり前のようにエランは対面の席を陣取った。
 ランチプレートのハンバーグを突きながら、エランが訊ねる。

「君、勝てる見込みはあるの?」

「ん」

 サラダを咀嚼して、リーセリットは己の生徒手帳と取り出すと画面を何回かタップし、それをエランへ手渡す。受け取ったエランが生徒手帳に目を落とせば、そこには去年リーセリットが受けた決闘の勝敗の記録が記されていた。
 決闘の回数は少ないものの、どれも勝ちを収めている。少しモビルスーツを動かせるだけのお嬢様かと思っていただけに、予想以上の戦績にエランは軽く口笛を吹く。

「へぇ、結構強いんだ」

「家の事業の手伝いでモビルスーツに触る事が多いんだけど、やってる内に動かすのも好きになってね。ペイル・グレードが出す評価でも適正は高いって言われてるし……」

 そこでリーセリットは溜め息を吐く。至極つまらなさそうにサラダに添えられているプチトマトをフォークで突いた。

「お陰様で私はエラン・ケレスの婚約者。あいつが足らないところを私が埋める。私が足らない部分をあいつで補う。そうすれば将来はスペックの高い子供が産まれるってワケ。ま、分かり易い血統操作だよね」

 別に政略結婚に異論はない。当時のリーセリットは別に好きな人など居なかったし、それで家に利益が生まれ、発展していく事を良しと思っていたからだ。性格はさて置き、エランが非常に好みの顔立ちをしていた事もある。
 そして。性格や自分に対する振る舞いは気に食わないが、いち事業者としての《エラン・ケレス》は悔しい事に非常に馬が合うのだ。頭が良く、回転も早く、商機を見極める目や実力だってある。共に仕事をしていくパートナーとしては申し分無い相手であり。
 いずれはこの人と結婚して優秀な子を作るのも悪くはないかも知れない、と思っていたのだ。

 ――四番目の彼に出会うまでは。

「――そんなに嫌なら逃げれば良いのに」

 そんな回想をしていたリーセリットの思考を引き戻す声があった。
 ハッとしてエランを見やる。机に片頬を付いて何時になく真剣な表情をしている彼のその顔は、何処となく一番愛しい『彼』を思い起こさせて。

「逃げるったって、何処に」

 目の前の彼と『彼』を重ねてしまった後ろめたさと、不意打ちで好きな表情を正面から食らってしまって紅潮する頬を隠すようにサッとリーセリットはエランから顔を逸らす。
 そんな顔が出来るなんて知らなかった。見てはいけない物を見てしまったかのような気持ちになってしまう。
 そんなリーセリットの心境なんか知らず、「そうだなあ」とエランは考え込むように宙に目を向ける。

「地球なんかどう? 宇宙程ってわけにはいかないけど、都市部に行けばそれなりの生活は出来るだろうし。バーチャルじゃない、本物の景色は見ごたえがあると思うよ」

 そうか、とリーセリットは気付く。
 人生における数多の選択の中で、嫌だと断ったり逃げ出しても問題はないのだ。当たり前のような感想だが、常に逃げずに立ち向かって来たリーセリットにとってはその選択肢は頭の中になく、誰かに言われて初めて存在に気付いたもので。
 それが少しおかしくて、リーセリットは小さく笑う。何か変な事でも言ったかと不思議そうに眉を寄せるエランに、笑みを残しながら「何でもない」と首を横に振った。

「そうだね……逃げるなんて選択肢、考えてもみなかった。地球に行くのもなかなか悪くないんじゃない?」

 エランに生徒手帳を返してもらったリーセリットはランチプレートのステーキを切り分ける。

「悪くはない、けど。現実問題、そう簡単に全部を投げ出して逃げれる程私って身軽じゃないんだよね。そこまで無責任でもないし」

 リーセリットは家の事業に携わっている。アスティカシアにはそういった子息子女は多く、学生である内から経営に携わっておいて会社を継ぐ時の準備をしておけという事だ。
 今此処でリーセリットが全てを投げ出したら、一体どれ程のお金が消えて無くなるのか。それで路頭に迷う従業員はどれ程出るのだろうか。そう考えるとエランの提案が幾ら魅力的と言えど、簡単に頷く事は躊躇われる。
 それは想定内だったのだろう。特に気分を悪くした様子もなくエランは「ふぅん」と相槌を打ち、後頭部で手を組む。

「それじゃあ、君との愛の逃避行は将来のお楽しみとして取っておこうかな」

「……何か、あんたも一緒に来る前提で話してない?」

「婚約者じゃないか。当然だろう?」

「その婚約者の肩書きも、逃げれば意味なくなるんだけど」

 ペイル社という枷から抜け出せれば、彼は《エラン・ケレス》でも《強化人士5号》でもなくなる。元の顔に戻りたかったら戻せばいいし、市民IDだって新たに取得出来る。もう婚約者ごっこを演じる必要だってない。自由になれるのだ。
 だというのに、エランは当たり前かのように自分がリーセリットの隣に居る未来を思い描いている。指摘すれば「ああそっか」とエランは指を鳴らした。
 そう、何処へなりとも行けばいい。そうして話は終わったとばかりにリーセリットはスープカップに口を付けようとして――

「言い方が悪かったね。好きな人の側に居たいと思うのは当然じゃないか?」

 ――とんだ爆弾発言を投げ込まれ、思わずリーセリットはカップを取り落としてしまう所だった。
 ぱくぱくと酸素に飢えた魚のように口を開閉させながらエランに目を向ける。目が合ったエランは天使のように柔和な笑みを浮かべていて。
 まるで心の底から愛おしいとでもいうような表情。錯覚してしまいそうになる頭をふるふると振り、リーセリットは面白くなさそうに小さく鼻を鳴らした。
 ――結局の所、彼のこういった言い回しや仕草、表情は一つの処世術でしかない。本気で言っている筈がないのだ。

「……冗談は止めて。本気で好きでもないくせに」

「酷いなぁ。本心からの言葉なのに」

 肩を竦め、エランは傷付いたような表情を浮かべて見せる。その言葉と表情だって何処まで本当で、何処からか嘘なのか信じられない。

「ま、僕との逃避行は検討しておいてよ。退屈はさせないからさ」

 「先に行ってるよ」とエランはトレーを持って席を立ち、リーセリットに軽く手を振って去っていく。その背を見ながら、リーセリットは皿に残っているステーキをフォークで刺した。
 まあ、もし、仮に。そんな未来が来たとして。あの賑やかな彼が旅路の隣に居るのはそこまで悪くないのかも、と思ってしまうのだ。


2024/06/18