考えた末にリーセリットはエランの腕の中から抜け出し、彼の手を取って引っ張る。行き先は今しがたリーセリットがやって来た方向――後夜祭の会場で。
「三人で行ったら無用な混乱を呼ぶでしょ! 私とエランで会場に行くから、あんたはエランを抑えてて!」
本物のエランにそう言いながら、リーセリットはエランの手を引いて来た道を引き返していった。
残ったエランが、不服そうに片眉を上げて腕を組む。
「……どうして本当の俺がこいつのお守りをしなきゃならないんだ」
まあリーセリットの言い分も分かる。公式なプロフィールでも兄弟を明記していないのだから、此処で何の説明もなく三人で会場に登場すればどんな噂が飛び交うかなんて想像もしたくない。
が、この扱いは何なのか。組んだ腕を苛立たしげに指でトントンと叩きながら、エランは5号に声を掛けようとして――
「……おい、何処に行った!」
気付く。傍らに居た筈の5号が居ない。
周囲を見回せば、リーセリット達が去った方とは逆の方向。そちらの遥か彼方に小さくなりかけている5号の後ろ姿があり。
向こうも気付いたのだろう。走りながら肩越しに振り向き、天使のような微笑みを浮かべてヒラリと手を振る。
「それじゃ! 僕は行く所があるから、後は宜しくね」
今更走ったって追いつけない距離。見送るしか出来なくなったエランはワナワナと肩を怒りで震わせ、勢い良く叫ぶ。
「どいつもこいつも、俺を馬鹿にしているのか!!」
悲しい絶叫が、ただただ森の木々に吸い込まれていった。
◆◆◆
場所は変わって《戦術試験区域マクハリ》。後夜祭の会場であるそこに足を踏み入れたリーセリットは中の様子を見て歓声を上げた。
満天の星空。足元に広がるのは真っ白な砂浜で、遠くを見やれば穏やかに波を立てる海が見える。正しく絵に描いたリゾート地の砂浜と言えよう。
「わぁ……! 凄い、本物のビーチみたい!」
「人工海浜。海はバーチャルだけど、砂は地球から取り寄せたみたいだね」
足を進める度、ザクザクと心地良い音が鳴るのが面白い。随分と気合いを入れているのだなと思いながら中心部へと向かえば、リーセリット達の姿に真っ先に気付いたのはスレッタだった。あっ、と声を上げたスレッタは抱えているクーラーボックスを一度地面に置くと嬉しそうな笑顔を浮かべ、此方へやって来る姿に向かって大きく手を振る。
「リーセリットさん、エランさん!」
それは「疲れたから休む」と行って試験区域を後にしたリーセリットと、ペイル社の用事で参加出来ないと連絡を貰っていたエランだった。てっきり二人とも後夜祭に参加しないと思っていただけに、来てくれた嬉しさにスレッタの頬が自然と緩む。
「スレッタ・マーキュリー、全校集会お疲れ様。参加出来なくてごめん」
「良いんです! リーセリットさんは、エランさんを迎えに行ってたんですね」
「え、あー……」
何と返すべきか。咄嗟に言葉が出てこず、リーセリットは口籠る。まさか正直に「エランが三人来たから一人連れて来た」とも言えるわけがない。なんて答えるべきかと悩んでいれば、横合いから静かな声が飛んできた。
「そう。僕が頼んだんだ」
「やっぱり!」
己の予想が当たってた事が嬉しかったのか、スレッタはますます喜色を浮かべる。ホッとしたようにリーセリットが息を吐いていれば、スレッタの向こうからミオリネの声が聞こえて来た。
「あんた達! バーベキューが始まるわよ!」
「あっ、分かりました!」
急かすミオリネの声にスレッタは慌ててクーラーボックスを抱えると、パタパタと小走りでミオリネの所へと駆けていく。
どうしようか、とリーセリットはチラリと隣のエランへ視線をやる。勢いで彼を後夜祭にまで連れてきてしまったが、きっとエランはこういう催しが苦手なタイプかも知れない。『エラン・ケレス』の影武者として必要なら顔を出してくれるだろうが、彼個人としてなら進んで参加はしないだろう。迷惑だったかなとリーセリットが不安に思っていれば、隣から己の名を呼ぶ声がしてリーセリットは顔を向けた。
「行かないの?」
「えっと……エランはこういうの、嫌だったりする?」
透き通った緑色の瞳が瞬く。そうしてエランは呆れたように小さく嘆息し、
「嫌なら、こうして学園に戻ってなかった」
「……それ、って」
三人居た衝撃で忘れてしまっていたが、確かにエランは「勝手に会社を抜け出してきた」と言っていた。わざわざ? 下された命令に唯々諾々と従うエランが、己の意志で?
自惚れても、良いのだろうか。自分の為に来てくれたのだと。リーセリットがつま先に視線を落として迷っていれば、白い手袋に包まれた手が差し出された。その意味を図るようにエランの顔を見上げる。顔を上げた先では、いつの間にか向き直っていたエランが片手を差し出していて。
「君と楽しみたいんだ、後夜祭を」
いつもの涼やかな表情と淡々とした声音からは感情が窺えない。だけどその言葉が本心からのものだというのは――疑いようのない程に明らかだった。
ならば迷う必要なんてない。リーセリットは差し出された手を取り、握る。
「うん……! 私もエランと一緒に後夜祭に行きたいな!」
遅れてやって来た二人が見たのは、随分と賑やかになっている《戦術試験区域マクハリ》の中心部だった。
張られたテントの下にはデリング総裁から差し入れされたらしい食材が山のように積まれ、それをグエル主導でジェターク寮の生徒達が切り分けては串に刺していき、出来た側から別の生徒が大きなコンロで焼いている。大勢の生徒が集っている辺り大盛況のようだ。
そして何より目を引くのが――中心に組み上げられた、キャンプファイヤー用の巨大な木枠。今はまだ点火されていないが本物の火を使っても良い許可が降りているらしく、ホログラムではない『実物』の物珍しさ故に周囲で様子を窺っている生徒の数も少なくはなかった。
バーベキューを見、リーセリットは思い出す。そういえば夕飯になる物をまだ何も口にしていない。その事を認知した途端にくう、と腹が鳴り、リーセリットは軽く腹を擦る。まるで今頃思い出したのかと恨めしげに腹が抗議しているようだった。
それに気付いたエランがバーベキューエリアの方を指差す。
「何か食べようか」
「あはは……そうだね。お腹空いちゃった」
エランが頷き、繋いだままの手を引いてバーベキューエリアへ足を向けた。近付くにつれて肉の焼ける香ばしい香りが漂ってきて、リーセリットの中で期待感が募っていく。実はバーベキューやキャンプといった野外の催しの経験がなく、後夜祭のコレが初めてだったりする。
コンロの側まで寄っていく。リーセリット達以外の大勢の生徒も集まっている為並ばないといけないのだろうかと思案していれば、ぶっきらぼうな口調で二人の名を呼ぶ声があった。
「おい。エラン、リーセリット」
「お疲れ、グエル。二人分貰って良い?」
「なんだ、まだ食ってなかったのか」
バーベキュー用の大きなトングを片手に此方へやって来たグエルはフンと鼻を鳴らすと直ぐに踵を返し、二本の串を手にして間を置かずにまた戻って来た。
「ほらよ」と串がリーセリット達に差し出される。受け取る為に繋いだ手を解き、一抹の寂しさを覚えつつもリーセリットはグエルに礼を言って串を受け取った。今しがた焼き上がったばかりなのだろう。串に刺さった分厚い肉やこんがりと焼かれた野菜、エビや魚からはホコホコと湯気が立ち上り、食欲を掻き立てる匂いをしている。
これはこのまま齧り付いて良いものなんだろうか。作法のようなものはあるのかとリーセリットは周囲を見回したが、特段作法のようなものは存在しないらしい。生徒達は思い思いのまま串に齧り付き、舌鼓を打っていて。
ならば、と真似してリーセリットも一番上に刺さっている肉に齧り付いた。もぐもぐと咀嚼し、飲み込む。
ぱっとリーセリットの顔に喜色が浮かんだ。
「お、美味しい……!」
「うん、美味しい」
隣で黙々と食べ進めているエランも頷く。
流石はデリング総帥が用意した食材というべきか、肉の質がとんでもなく良い。加えて下準備したジェターク寮の生徒達の腕も良いのだろう。塩と胡椒のみというシンプルな味付けが、より素材の旨味を引き出して絶品という他なかった。
そのまま下に刺さっている野菜や魚介類も頂いてしまう。どれも美味しく、それなりの量があったと言うのにあっという間に完食してしまった。
リーセリットが串を返却しに行くとコンロの火で炙っている『ある物』が目に入り、ソレを一本貰う。良い物を見つけたと上機嫌でエランの下へ戻ると、リーセリットはエランにソレを見せた。
「ねぇねぇエラン! 見て、良い物あった!」
串に刺さっている白くてふわふわしたソレは、コンロの火に当てられて軽く焦げ目が付けられ、甘く美味しそうな香りをしており――
「……焼きマシュマロ?」
「そう! エランもどう、って――」
言い切るよりも早く。丹精な顔が近付いて来ては顔のすぐ横を緑色の綺麗な髪が掠めていき、リーセリットは思わず身を固くした。ひえ、と情けない声が口から零れそうになる。そんなリーセリットの心境もいざ知れず、エランは涼しい顔で焼きマシュマロを齧り、リーセリットから離れていく。
「これも美味しいね。……リーセリット?」
「あっ、そ、そうだね!」
慌ててリーセリットも焼きマシュマロに齧り付く。
味なんてちっとも分かりやしなかった。
◆◆◆
腹ごなしも兼ねて、リーセリットとエランは戦術区域の中心部から離れて適当に散策をする。生徒の集まる中心部は当然賑わいを見せているが、そこから外れれば場所が変わったように静かなものだった。砂浜を踏み進む音と、そこに寄せては返すさざ波の心地良い音しか聞こえない。まるで二人きりの世界になったみたいで、リーセリットの胸はドキドキと高鳴っていた。
並んで歩きながら、どちらからも会話を切り出す事もなく黙々と歩き進める。何か話題を切り出した方が良いかなとリーセリットが思案を巡らせていれば、エランが小さく呟いた。
「……綺麗だね」
「へっ!?」
「星空」
「あっ、ああ……うん、そうだね」
唐突にエランが口を開いたものだから驚いてしまったが、目線だけで空を示すエランに誘われるようにリーセリットも空を見上げた。勿論この星空は投射された映像であり、本物ではない。それも宇宙で見る景色ではなく、地球の地上から空を見上げた時の星空を模しているらしくて。
仮初の星空だが、それでも美しいと思えるのはきっとエランと一緒に見ているからだろう。エランと共有するものなら何だって特別になり得る。
「……いつか、エランと一緒に地球から満天の星空を見てみたいな」
ぽつりと独り言のようにリーセリットは囁く。そんなリーセリットの横顔を、エランはじっと見つめていた。
それは叶わない願い事かもしれない。エランに与えられた『役割』を考えれば不可能にも近いだろう。
だけど――もし。強化人士としての役割を終えても尚生きていられてアスティカシアを卒業出来たのなら。その時はリーセリットの手を取って地球に行き、彼女の願いを叶えられるだろうか。
「……リーセリット、」
どう答えるべきか。迷いながらもエランが口を開けば、リーセリットは悪戯っぽく微笑みながら己の口元に人差し指を当ててみせる。
「その先は言わないでね、エラン。……今だけは、そういう夢を見てみたいから」
例え答えと未来が分かりきっているとしても、それでも『どうか』と夢想せずにはいられないのだ。
きっとそれが、誰かを愛するという事だから。
リーセリットがそういうのなら、とエランは開きかけた口を閉じる。と、試験区域内に設置されているスピーカーから小さなハウリングが聞こえ、リーセリット達は周囲を見渡した。密やかな雰囲気をブチ壊すような賑やかな声がスピーカーから飛んでくる。
《良いかお前ら! 祭りは最後まで楽しんだモン勝ちだ! フォークダンスもブチかませー!!》
チュチュの声だ。もうそんな時間になったのか。
何だか毒気が抜かれてしまった。どちらともなく顔を見合わせたリーセリットとエランはクスリと微笑みを交わす。
「リーセリット」
エランが静かに手を差し出す。それは先程後夜祭を共に楽しみたいと申し出た時のように。或いは真摯に踊りに招くように。
「僕と一緒に踊ってくれる?」
「あ……」
じわり、とリーセリットの胸の中で嬉しさが広がっていく。エランと一緒に踊ってみたいと思ってはいたが、本当に叶ってしまうなんて。こんな夢のような事があって良いのだろうか。その嬉しさを噛みしめるようにリーセリットは胸の前でぎゅっと手を握る。
そろりと握っていた手を解き、差し出されているエランの手に己の手を重ねる。優しく握られ、リーセリットは嬉しそうに微笑んだ。
「……私でよければ、喜んで!」
並んで歩き出し、キャンプファイヤーの方へと向かって行く。
泣きたくなる程幸福だ。これが夢ならどうか覚めないでほしいと、リーセリットは願わずにはいられなかった。