――肩に掛かるエランの手をそっと外したリーセリットは、エランの腕を掴むと思いっきり引っ張った。「うわっ」と言いながらエランはされるがまま、リーセリットと共に駆け出していく。
森林エリアの奥へと向かっていく。その最中肩越しに振り返ったリーセリットは大きく声を張り上げた。
「エラン! 後夜祭の方お願いしていい!? 私はこいつをどっかに隠すから!」
「ねえ、他に言い方なかった?」
隣から文句の声が上がってくるが気にしない。そこ声に答えるように涼やかな表情をしたエランは小さく手を振り、
「分かった。任せて」
離れていく二つの人影を見送ったのだ。
その隣で腕を組んだエランがボソリと呟く。
「……今のは俺宛てじゃなかったか?」
「僕宛てだよ」
「どっから出てくるんだよその自信は」
◆◆◆
「も~、つっかれたぁ~!」
ある程度離れたところでリーセリットは走る足を緩め、掴んでいたエランの腕を離すと膝に手を付き、乱れた息を整え始めた。立ち止まったエランも同じく息を整える。
落ち着いた頃に上体を起こし、リーセリットは周囲を見回してみる。闇雲に森林道を走って来たが、どうやら森林エリアに設けられた休憩スペースの近くまで来ていたようだ。少し離れたところに美しいデザインをした噴水とガゼボが見える。
丁度良かった。あそこで休憩していこう。リーセリットがそう提案しようとエランの方を向いたところで、そういえばと視線を少し下に落とした。
「ねぇ、さっきから気になってたんだけど……それ、何持ってきてるの?」
「ああ、これ?」
気にはなっていたが、指摘するタイミングが見当たらなかった。指摘すればエランは手に持っている紙の手提げを軽く持ち上げ、ガサガサと中身をまさぐる。中から出てきたのは――
「ちっちゃい……花火?」
「手持ち花火だよ。見た事ない?」
「ホログラムの打ち上げ花火なら……」
パッケージされた袋の中は、色とりどりの花火が並んだ手持ち花火だった。
果てなく空が広がっている地球とは違い、宇宙は小惑星を基部として巨大な人口居住施設――フロントを造り、そこに人工重力を発生させ、そこで生活をしている。高さが決められている事もあるが、天候パネルや空調設備などの精密機械が溢れるフロントで巨大な火薬を打ち上げようなどと思う酔狂者は居なかった。万が一フロントの壁が壊れれば、人間なんて糸の切れた凧のように宇宙空間へ飛ばされてしまう。
そんな訳でスペーシアンにとって花火は、ホログラムや映像で楽しむ物となっていた。発祥となった地球でも火薬は優先的にMSの装備に回されてしまう為、アーシアンの中でも打ち上げ花火を楽しむ文化は衰退してしまったと言っても過言ではない。
しかも、リーセリットの目の前にある花火は想像していた物よりも大分小さい。初めて見る物だ。物珍しげにしげしげと観察している様子がおかしくも可愛らしくて、エランはクスリと笑みを零す。
「ものは試しだ、やってみようよ」
「えっ。出来るの?」
リーセリットの顔に期待が浮かぶ。勿論だと頷いたエランはパッケージを破くと中に入っている簡易バケツを組み立てる。その間にリーセリットが目を通した説明書によると、どうやらこのバケツは水を入れると中の成分が凝固し、安心安全に花火の燃えカスを捨てる事が出来るらしい。
近くの噴水で水を汲み、用意しておいたライターで着火用の蝋燭に火を灯せば準備完了だ。
「じゃあ好きなのを選んで。なるべく腕は伸ばして、気を付けて持つんだよ」
適当に一本の花火を手に取ったリーセリットは先端を蝋燭で炙る。すると間を置かずにジリジリと燻るような音がし、先端から勢い良く色鮮やかな火花が噴射され始めた。あまりの勢いの良さに驚いたリーセリットは伸ばしていた腕を振ってしまい、足元に火花が散らばる。
「うわ、うわわわ……!」
「ああほら、気を付けろって言ったじゃないか!」
慌てた様子でエランがリーセリットの背後に回り、彼女の腕を目一杯伸ばす。しゅるしゅると勢いを失っていく花火を見つめながら、リーセリットは驚きでドキドキと脈打つ己の鼓動を聞いていた。
火が消えたのを確認し、リーセリットは安堵の溜息を吐く。その直ぐ背後、リーセリットの耳元で囁く声があった。
「もしかして怖気付いちゃった?」
今度は別の意味で胸がドキリと高鳴る。そこで漸くリーセリットは今の体勢を思い出すのだった。
まるでエランに後ろから抱き締められているかのような格好。慌ててエランの腕の中から抜け出たリーセリットはバケツに花火を放り入れ、エランと距離を取って向き直る。暗くて頬の赤み見えていないだろうが、どうにも彼にはバレてしまっているような気がしてならない。
悪戯っぽく口角を僅かに持ち上げているエランに対し、新たな花火を選びながらリーセリットは声を張り上げる。
「べ、別に! 少し音に驚いただけだもん」
二本目の花火を選び、蝋燭で炙って着火する。事前にどのような物か分かればもう驚く必要もない。音と煙を立てて噴出されていく色鮮やかな花火にリーセリットは表情を綻ばせた。
「凄い。映像で見るよりもずっと綺麗」
無邪気にそう呟くリーセリットの横顔をエランは盗み見る。鮮やかな花火に照らされている楽しげな横顔は、眺めていればそのままつい見入ってしまいそうになる程美しかった。
じっとエランはその横顔を眺める。すると視線に気付いたのだろう。リーセリットが花火から顔を上げ、エランの方を見やる。盗み見ていたのがバレたのかと一瞬エランはギクリとしたが、リーセリットは不思議そうに小首を傾げるだけだった。
「エランもやらないの?」
花火はまだ沢山ある。それに一人で楽しむよりは二人でやった方がより思い出になるというものだろう。素直な問いかけに気が抜けたように笑ったエランは適当な花火を選び、火を付ける。色鮮やかに噴出される花火は緑色――『今の』己の髪色と同じだった。
そんな火花を眺めながら、随分遠くに来たものだとエランは思う。顔を変え、名を変える前の生活を思えば此処はどんなに楽園だろうか。衣食住が約束され、文句を言いながらも何だかんだと付き添ってくれる可愛い婚約者も居る。
だけど――花火に照らされているエランの表情が一瞬強張る。
これはあくまで『借り物』だ。貸し与えられているものであり、己の力で掴み取ったものではない。『役目』が終われば、あるいは使い物にならないと処分されてしまえば――
勢いが衰えていく花火を見つめる。
いや、そんな事にはならない。何の為に全てを変えてまで生き延びてやったと思っているのか。
生き延びてやる。何をしたって。
完全に消えた花火をバケツに放る。じゅう、と燻るソレを一瞥し、いつもの人受けしそうな表情を作ったエランは次の花火へ手を伸ばした。
小さな花火大会は進んでいく。並んでしゃがみながら楽しんだ最後の線香花火がポトリと地面に落ちた後、訪れた沈黙を破ったのはリーセリットの眠たげな欠伸だった。
「ふわ……」
エランは生徒手帳を取り出し、時間を確認してみる。――寝るにはまだ早い時間だが、リーセリットの活動限界もそろそろなのだろう。立ち上がったエランは残った線香花火を靴底で消し後片付けを始める。手伝おうとリーセリットも立ち上がるが、それをやんわりとエランは制した。
「君は休んでなよ。直ぐに終わるからさ」
「じゃあ、ちょっとだけ……」
目を擦りながらリーセリットはガゼボへと向かう。誰かしらが手入れをしているのだろう、ベンチには落ち葉の一つもなく、遠慮なく腰を掛けたリーセリットは背もたれに背を預けた。
気を抜いた瞬間。まるで両肩に伸し掛かるような疲労感がドっと押し寄せ、それはリーセリットの瞼にも押し寄せていた。駄目だ、少しだけ休むつもりなのに、このままでは此処で熟睡して一夜を明かす羽目になるかも知れない。グッと堪えてみるが疲労感と眠気に抗える筈もなく、やがてリーセリットは静かに寝息を立て始めていて。
片付けを終え、ゴミを入れた紙袋を持ったエランがガゼボへやって来る。案の定すやすやと眠っているリーセリットの姿を認めたエランは、やっぱりねと言うようにクスリと笑ってリーセリットにそっと歩み寄った。
「リーセリット」
軽く肩を揺すって起こしてみる。しかし起きる気配はなく、リーセリットは小さく唸っただけだった。
どうしてくれるか。悪戯の一つでも仕掛けて反応を楽しみたい気持ちもあるが、寝ている人相手では面白みに欠ける。
仕方ない、と紙袋を腕に掛けたエランはリーセリットの背と膝裏に手を回し、横抱きにする。自分の代わりに全校集会を頑張ってくれた、細やかなお礼だ。
「おやすみ、リーセリット」
小さく、そして優しく囁いてエランはペイル寮へと向かって歩き出す。
無防備に体を預けて寝顔を晒す彼女に、どうしようもない愛しさを覚えながら。