グエル・ジェタークの受難
その日一番大きい溜め息をグエルは吐き出す。重苦しく吐き出されたそれはグエル本人の耳にしか届かず、綺麗に整えられたジェターク社の執務室に吸収されていった。
疲れたように目頭を揉み、執務机に備えられたチェアにグエルは背もたれに深く身を沈める。革張りながらも上等な作りであるチェアは柔らかく、その柔らかさが今のグエルにとって唯一の慰めとなっていた。
亡き父親の跡を継いでジェターク社CEOになってからそろそろ三年になる。慣れない仕事に頭を悩ませ、四苦八苦しながらもなんとか軌道に乗せ、取り敢えずは社員が食うに困らない程度には運営出来ていると言っていいだろう。
それが出来たのは何も自分一人の努力ではない。付いて来てくれた社員たちもそうだし、何より――ブリオン社にヘッドハンティングされた元・ペイル社の御曹司、エラン・ケレスの手腕が大きかった。
エラン・ケレス。かつては同じ学友であり、御三家の一人であった男――と説明すると些か語弊が生じる。アスティカシアに通っていた『彼』は彼ではなかったのだから。
ペイル社で行われていた、《GUND-ARM》に搭乗するために人間を調整するという《強化人士》という計画。その計画に参加し、エランと同じ顔に整形されて学園に送り込まれていたのは四番目と五番目の強化人士だったという。
その話を本人から聞き、成る程なと漸くグエルは合点が行く。《氷の君》などと通り名で呼ばれる程に冷静だったエランが、休学から空けると明るく飄々としたキャラになっていた理由についてだ。婚約者であるリーセリットにも素っ気ない態度だったのに彼女の腰を引き、愛を囁く姿を見かけては別人かと目を疑ったものだが、まさか本当に別の人物だとは普通思わないだろう。
……そう、エラン。再び大きく溜め息を吐き出したグエルは執務机に両肘を付き、組んだ手の上に額を乗せた。
ジェターク社の社員たちの再就職先を斡旋してくれて、アスティカシア再建も協力してくれたエラン……と、その秘書のセセリア。彼と彼女らが問題なのだ。
性格のクセが強すぎる。
セセリアが人を煽ってくる態度を好むのは決闘委員会で一緒だった頃から知っていたが、エランは彼女の上を軽々と超えていくのだ。此方が助けてもらっている手前、強く出れないのを良いことによくグエルをからかい、おちょくってくる。
卒業する間際、エランと仕事をすると話した際にリーセリットが苦虫を噛み潰したかのような表情で忠告してきた言葉を思い出す。
「あいつ、本当に良い性格してるから気をつけなさいよ。何度顔以外を殴りつけてやろうと思ったことか……」
記憶の中でリーセリットは腕を組み、ぶつぶつと文句を垂れている。それがエランに対しては見ている此方が胸焼けしそうな程にベタ惚れだったのだから、つくづく性格と相性は大事だなと思ったりもしたものだ。
頭を上げ、どうしたものか、と今度は捻る。暫し頭を傾けたまま思案していたグエルだったが、やがて上体を正すと執務机に置いてあるノートパソコンを引き寄せ、立ち上げる。連絡用ソフトを立ち上げ、一つの名前をスクロールして探し出す。
「……あいつに頼るしかないのか」
断腸の思いとは正にこのことだろう。
そも、彼女との面識は多くない。せいぜい『同じ決闘委員会の所属だった』程度だろう。所属する会社が違えば寮も違っていた。横暴だった過去の自分を薄っすらと嫌っていたであろう節だってある。
だからこれは賭けに等しい。悩みに悩んだ末、グエルは一覧に映るその名前をクリックし、コールする。
◆◆◆
「……ん?」
場所は変わって地球。
都市部より遠く離れた場所にあるロッジで机に頬杖を付きながらノートパソコンを開き、ぼんやりと時事ニュースを眺めていたリーセリットは一つの通知が目に留まり、訝しむようにその通知を見つめた。
「グエルから……?」
滅多に連絡を取らない相手からの連絡ともなれば多少なりとも警戒の色が覗いてしまうのも無理ないだろう。
グエル・ジェターク。横暴で傲慢な、いけ好かない男。……という印象だったのが、どういう訳か休学から復帰するとそういった面は鳴りを潜め、随分と実直な性格になった男。先代のヴィムが急逝してからジェターク社の立て直しに躍起になっているとは聞いていたが、どうして自分に連絡などと思ってしまう。
コツン、とノートパソコンを爪で叩く。
そもそも、仲良く連絡をするような間柄ではない。学生時代でそうだったのだから、卒業した今となっては尚更だ。向こうはジェターク社のCEOで、リーセリットは実家であるラスタバン社の経営から手を引いた身なのだから。今更経営に関する話を持ちかけられたところで、リーセリットに出来るのはせいぜい父親を紹介する程度だろう。
コールはまだ鳴り止まない。少し思案したリーセリットは指でタッチパネルを操作し、通話開始ボタンをタップする。
ビデオ通話だったのだろう。パッと画面が変わり、執務室らしい場所が背景のグエルの姿が映った。
グエルがぎこちなく口角を僅かに持ち上げて笑う。その所作だけで昔の彼とは随分と変わったなと感じざるを得ない。
『久しぶりだな、リーセリット』
「久しぶり。どうしたの、急に連絡なんてしてきて」
『それなんだが……』
切り出しづらそうに、グエルは口を開いては閉じるを繰り返す。それをどれ位繰り返しただろうか。一度ぎゅっと唇を引き結んだグエルが、ガバっと大きく頭を下げる。以前では有り得ない光景と勢いにリーセリットは思わず身を引いてしまった。
――あのグエル・ジェタークが頭を下げてる!?
しかし、『あの』グエルがプライドも何もかもをかなぐり捨てて頭を下げるということは余程の事態なのだろう。話だけは聞いてやろうと取り敢えずリーセリットは姿勢を正す。
「なっ……何? 本当にどうしたの?」
『頼む、リーセリット……ジェターク社に来てくれないか』
「……え?」
予想外の言葉にぽかんと口が開いてしまう。口元に手を添え、リーセリットは思案する。
「それって、単純にジェターク社に来訪してくれってことじゃないよね。つまり……」
グエルが顔を上げる。その表情は真剣だ。
『ああ。お前を社員として迎え入れたい』
「え、えぇー……?」
まさかの話に今度はリーセリットが頭を抱えたくなる番だった。取り繕うこともなくリーセリットは困惑を顔に浮かべる。
完全にヘッドハンティングではないか。それはまあ別に良いとして、気になるのはわざわざリーセリットを選んだ理由である。
確かにリーセリットはラスタバン社で経営に関わっていた。でもそれはあくまでも『父親の仕事の手伝い』の範疇であり、しかも今は携わっていたプロジェクトを全て片付けて手を引き、エランと地球をあてどなく歩き回る旅の最中なのだ。宇宙に本社があるジェターク社になどいちいち行っていられる暇はない。
それに、探せば宇宙にはリーセリットよりも有能な人物なぞゴロゴロと転がっていることだろう。それを何故、わざわざ。
グエルが振り絞るようにか細く呟く。
『……俺一人でセセリアとケレスさんの相手をするのはキツいんだ……』
そう振り絞った映像越しのグエルの表情は心なしかやつれていて、何処か哀愁を漂わせている。精神的な疲労が顔に表れているのだろうか。
久し振りに聞いたその名に嫌そうな表情を浮かべつつも、リーセリットは机に頬杖を付く。彼の相手をしたくないのはリーセリットも同様だった。
『本物の』エラン・ケレス。ペイル社の御曹司でありリーセリットの婚約者でもあった彼は憂き目であったペイル社をさっさと見限ると、ヘッドハンティングされたブリオン社へ颯爽と乗り替えっていった。そうして乗り替えた先のブリオン社でもその手腕を余すことなく発揮しているらしく、地球にいるリーセリットのところにも幾つかの噂は風に乗って届いてきている。
「あいつ今ブリオン社に居るんだっけ? なんで私があいつの相手しなきゃならないの」
『慣れてるだろ、ケレスさんの相手』
「やだやだ! 折角あいつと婚約関係が解消出来たのに、また顔を突き合わせろって?」
エランとリーセリットの婚約関係はペイル社が解散された時点で解消となっていた。書類上の手続きも済んでいるので名実共に二人は何の関わり合いもない、全くの赤の他人である。
もう無関係の相手だし、何よりセセリアとエランの相手をするためだけに入社なんて。リーセリットがうんざりとした様子で空いている片手をヒラヒラとさせる。他を当たってくれのサインだ。
しかしグエルは引かない。引き下がれない。少し考えたグエルは素早くキーボードを叩き、リーセリットへメッセージを送った。リーセリットのパソコンの方でポコン、と通知音が鳴る。何だ何だと確認してみれば数字が羅列したメールが届いている。
なかなかにゼロが多い数字が見える。まさかなとリーセリットが片頬を引き攣らせていれば切実そうなグエルの声が飛んできた。
『ポジションはお前の能力を買って経営アドバイザー。年収は今送った額で検討している。都合が付けば俺と一緒に会議に出て欲しいが、基本的にはビデオ通話で構わない。どうだ?』
捲し立てるようなグエルの声に、ふむとリーセリットは一旦思案してみる。
「……ちょっと額が多すぎない? いや、私は別に良いけどさ……。それに、私のこと買い被りすぎだって。幾ら家の会社の経営を手伝ってたって言ったって結局手伝い程度だし、パイロット科に居たし……」
リーセリットは確かに経営を学んでいたが、それはあくまでも父親の仕事を手伝うためだ。本格的に経営に口を出せる程ではないし、そもそもリーセリットの適正はMS乗りである。
ペイル・グレードがそう判じた。
だからリーセリットはエランの婚約者に選ばれた。MSへの適正以外完璧なエランを補うためのパーツとして。
そういう意図を含めてアスティカシアではパイロット科に通っていた部分もあるのだが、エランと一緒に生活が出来たので結果としては良かったように思う。
画面の中でグエルが緩やかに首を横に振る。
『寧ろそういう人材が欲しいんだよ。MSにも詳しくて経営にも明るい奴が』
「う~ん……」
悩む。どうしてもグエルはリーセリットを雇用したようだった。
此方の都合は大分考えてくれているのは分かる。金額だって申し分ない。しかし面倒事に関わりたくないという気持ちも強く、それらがリーセリットの頭を悩ませていた。
腹を決めるしかないか……と考えていると唐突に左肩と背中にズシリと重みが加わり、「うわ」と間抜けた声を上げたリーセリットの頬が手から滑り落ちた。その間にも背後から伸びてきた腕が脇の下をスルリと通って胴に巻き付いてきて、背後から抱き締められている形になる。
こんなことをするのは一人しか居ない。頬杖を付き直しながら視線だけを動かして肩口を見やれば、柔らかな薄緑の髪が視界に映った。
彼に似つかわしくない、冷ややかな声が耳に入る。
「随分と楽しそうな話をしているじゃないか、グエル・ジェターク」
闖入者の姿にグエルが驚いたように瞠目する。そしてその人物を確かめるようにグエルは恐る恐ると彼の名を呼んだ。
『お前……エラン、で……いいんだよな?』
「ああ。御本人様からは許可はもらってるからね」
そう言ってグエルの記憶の中より随分と髪を伸ばし、団子状に一纏めしている男――強化人士5号は面白くなさ気にフンと鼻を鳴らし、リーセリットに頭を擦り寄せていた。まるで大きな猫が飼い主に構ってもらえなくて拗ねているようだ。
不機嫌さを隠そうともせず、エランが口を開く。
「そういう話は、僕を通してからにしてくれないかな。恋人でもあるこの僕に」
『僕に』の部分をやけに強調してくる。グエルがよく知るエランとは随分とかけ離れた性格をしているなというのがグエルの中のエランの印象だったが、こうして冷徹な態度を取っている姿を見ると、同じ顔なだけあって同一人物のように見えてしまう。
随分と執着しているなとリーセリットに目を向ければグエルのその視線の意味に気付いたのだろう。リーセリットは諦めたように一つ息を吐き、空いている手をヒラリと振る。
『なんというか……お前も大変そうだな、リーセリット』
「そう思うんなら仕事増やさないでほしいんだけど……」
お互いに溜め息。しかしそう言いつつもエランを引き剥がすような素振りが見られないのは、何だかんだと言いながらもリーセリットもエランを好いているからだろう。
さて、と気を取り直したグエルが改めて切り出す。
『それで……リーセリット。受けてくれるか?』
「……たまにだからね。こっちも旅で忙しいんだから」
渋々ながらもリーセリットが了承してくれたことにグエルはホッと息を吐く。今後、会議の場で彼女が同席してくれると思うだけでどれ程精神的に楽になるか。
「グエル・ジェターク。分かっているとは思うけれど、リーセリットに手を出せば――」
『いや、出すわけないだろ!』
エランの冷ややかな警告にグエルは言葉を被せる。そも、リーセリットを恋愛対象としてなんて学生時代から一度も見たことがない。寧ろ――と脳裏に浮かんだ一人の女の姿を振り払うようにグエルは軽く頭を振った。
グエルの言葉に満足したのだろう。気を良くしたようにエランはまたリーセリットに擦り寄っていた。
それじゃあな、と言ってグエルはビデオ通話を切る。そうして通話する前よりも疲れたように背もたれに深く背を預け、重く溜め息を吐いた。
――どうしてあの顔の男はどいつもこいつも面倒な性格をしているんだ……!